■都現美の展覧会はトーマス・デマンド展。歴史的な場所が記録された映像を元に作られた模型を撮影した映像・写真作品が並ぶ。紙で作られた模型を写した映像は遠目には本物を写した映像と見分けが付かない。良く視れば、さすがにディテールが落ちていることがわかる。ただ、記憶に残っている映像というのも、せいぜいその程度のディテールしか保っていないことも解る。ディテールがかけていることは解るが、欠けたディテールを記憶から埋めることができないからだ。
ただその意味では、デマンドが海外で活動している作家というのが、少し難しいのかもしれない。記憶と照らし合わすことのできる映像といえば、オーバルルーム(それも、実物というよりは映画で観た記憶だ)と、福島第一原子力発電所の震災直後の制御室ぐらい。他にはあまだれや監視カメラなどあるけれど、それらは特徴が少なく、匿名の映像でディテールの欠落はもとより気にならない。
しいてリファレンスになるとしたら原発の制御室の映像で、天井から脱落したグレーチングに見覚えがある。ただ、計器類の細かい表示は全て省略されていて、遠目にも漂白されて見える。映像の白々しさを現実の白々しさとして受け止めてしまいそうになるけれど、それこそが映像を通して現実を把握することの危うさを示している。例えば原発制御室の漂白された映像が、現実の薄ら寒さを象徴しているわけではない。薄ら寒いのはむしろ映像の印象だけで現実の心象を決定してしまうことだ。そこにはまず心的な思い込みがあり、その心象を強化するために映像が使われるというメカニズムがある。もともと映像は映像以上でも以下でもない。現場のコンテキストを失った映像を使ったプロパガンダの数々はいまさら指摘するまでもない。
同時開催の常設は新収蔵作品展が面白かった。アニッシュ・カプーアの作品や、奈良美智の初期作品群など。横浜美術館で夏季の企画展に奈良美智が予定されているからちょうど良かった。曽根裕の昨年の森美術館で展示された彫刻作品もあり、そうした、自分も知っている(単純に解る)作品が入っていて面白かったです。