■鎌倉画廊は鎌倉山にあって、その名前は前々から知ってはいたのだけど場所が今一つわからず今まで行ったことがなかった。近くには何度も行っているはずなのだけど、見つけられなかったのだ。そんなこんなでずるずると行かないままだったのだけど、今回はきちんと探すつもりで。改めて行ってみたら簡単に見つかったので拍子抜け。今まで何度も前を通り過ぎていたことを知った。そのつもりで見れば気が付くのに、意識されなければ見ていても観ることができない。
その鎌倉画廊での展覧会は小川 信治 「世界線の眺望」。展覧会紹介のビジュアルに使われているのはフェルメール「手紙を書く婦人と召使」を原典とした「手紙を書く女と召使」。オリジナルを並置しない間違い探しのようなもので、原典を知らないと楽しめない作品。その意味で自分には難しい作品。フェルメールだなあ、ということは解るのだけど、肝心のオリジナルがどうだったのか想起されない。はじめからこういう作品だったのではないかと思ってしまう。
ただ、「世界線の眺望」のキャプションにある「私たちの記憶にある人物の不在からは、別の世界の存在を感じることができます」という意味では、確かに自分は別の世界のフェルメールを観ているということかもしれない。
ただ、そう開き直ってばかりもいられないので、改まって原典となったビジュアルを観ると「手紙を書く女と召使」の印象とはずいぶん異なることに気が付く。正直に言ってしまうと原典側は少々うっとおしい。「手紙を書く女と召使」は中央の視線が抜けて、その場の静かな空気を強く感じる。どちらが好みかと聞かれれば、「手紙を書く女と召使」の方になってしまうかな。偽作と言えば偽作と呼ばれてしまうのかもしれないけど、マスターピースのifを問いかけていて面白い。
それとは別に、原典の方も不思議なところがあって、画面右手前にある椅子は少し引かれているし、その横には床に小物が落ちている。それはそれで人物の不在を感じさせて面白い。
鎌倉画廊では常設もあって、しかし「画廊」なのでそれは商品でもあり、キャプションには値段も表記されていたりする。そうなるとあまり気にせず買えそうなものもあったり、ちょっと無理すれば買えそうなものもあったり、覚悟すれば買えそうなものもある。そうなってくると、「面白いけど、この値段だとちょっと」とか、「手持ちに余裕があればすぐほしいかも」とか、また違った見方が出てきてそれはそれで面白い。個人的に気になったのは青木野枝さんのスカルプチャだけど、置き場所だなあ問題は。
購入して、画廊にそのまま預託することもできたりするのだろうから、そこはもしかしたら気にしなくていいのかもしれない。金額は自分の価値感覚と交換できるか問われているわけで、自分の感覚を外部評価されているような感じもする。自宅に飾るなら大型の作品ではなくて、小品になるかな。また今度寄ってみようと思う。周辺に飲食店が少ないのが難点かな。