■1/9に韓国で行われた坂本龍一氏のライブがUSTREAMで無料生中継されていて、山口で視聴していた。もともとこの三連休を使って金沢へ行くつもりだったのだけど、仕事の都合が入って金沢行きはキャンセルになってだらだら過ごしていた日になっていたのでちょうど良かった。
演奏される楽曲の品質そのものは改めてどうこう書く意味もありませんから、それはおいといて、面白いと思うのは、PCで再生されるライブを視聴するというその構造は、You Tubeやニコ動でのビデオ視聴と変わず、違うのはソースがリアルタイムに生成されているかどうかというその点だけなんですが、見ている側には、そのリアルタイム性は実感としては持てない。体験上はオンデマンド再生と等価なんですね。TwitterのTLなどで、この視聴体験が他者と共有されていることは解るのですが、視聴に伴う「実時間性」がどこか希薄なのは確かです。
「ライブ中継のネットワーク配信」に意味を持たせるとしたら、その映像・音声がリアルタイムで生成されていることを伝えるのか、が重要になってくるように思います。もちろん、商業的にはネットワーク配信そのものがiTunes販売への宣伝そのものにもなっていたりしていて、それだけで十分ある程度意味を持つことに成功していると言えるとは思っています。
ただ、それだけを目的とするのであれば、ライブの撮影画像を編集した後で(例えば、今回のライブであれば教授の韓国語のMCに字幕を付けるなど)配信しても同じ効果は得られたでしょう。
skmtsについて言えば、視聴者をskmtsプロジェクトにいかに巻き込むかが主眼で、ライブそのものは実は主役ではないというのがミソで、その点で言えばライブの実時間性はそもそも問題でなかったりします。それに対して、ライブ中継の裏側にあるスタッフの動きとの連携には実時間性を求められているというのが面白い点ですが、同時にこうした試みの限界を示しているようにも思います。ライブとプロジェクト運営の文脈に乖離が激しくて、ライブを愉しみたい側には舞台裏の中継はつけたしですし、逆に舞台裏との絡みが面白い側にはライブそのものは契機でしかないということになります。主客転倒というわけではなく、どちらも主である、という2項対立の構造になってしまったために、「LIVEの生中継によるソーシャルメディア」という点では肝心の'LIVE'が意味を薄めてしまっているような印象を残すわけです。
ただ単に'LIVE'を1万5千人規模で同時に視聴したことに意義を見出してしまうのだとしたら、それは今回のソウルのLIVE会場の規模を拡大したのと同じだけであり、LIVE会場の拡散化が今回の意義だった、というレベルにとどまってしまいます。人を集めるイベントが集まる人々をその場へ参加させる力を持つコンテンツが必要なように思います。