■季節が変わり、山口情報芸術センター(YCAM)で新しい企画展、POLARm(ポーラーエム)が始まった。HPに露出している写真では今ひとつ解り難い。カールステン・ニコライとマルコ・ベリハンが制作したインスタレーション作品は人間の目には不可視である環境情報をセンシングして可視化してプレゼンテーションする。それだけだとヒューマンインターフェース技術の提示のようでもある。
いつものように湯田温泉駅で下車して徒歩30分ほど。NHK山口放送局隣の建物で、図書館も併設されている立派な施設。普段の企画展なら1Fホワイエやアトリウム、Aスタや2Fのスタジオを使って数点展示されているのが、今回のPOLARmは1FのAスタジオのみ。
Aスタジオの隣のオープンコーナーではなぜかタルコフスキーの「惑星ソラリス」が上映されていて、なつかしーなー、と思いながらも意味が解らず。
Aスタジオは照明を落とされた展示室で、入って右手にプロセサ、左手に霧箱、中央に未加工の御影石が幾つかとその中央で動くロボットアーム。その少し奥には小さく四角くカットされた御影石が左右それぞれ20個ほど、宙に吊るされ方形に配置されている。左右それぞれの石の方陣の中央にはガイガーカウンター。
そしてさらにその奥には巨大な白い立方体。右手の立方体は開放されていて中が見え、左手んお立方体は閉じていて中は見えない。立方体内部にはプロジェクターとスピーカーが配置されていて、ビジュアルとサウンドが流れる。ビジュアルは霧箱に浮かぶ放射性粒子通過の軌跡。サウンドはガイガーカウンターの検出音。
この作品は表面的には環境放射線のセンシング結果をAV出力するインターフェースということになるが、そのアウトプットである白い立方体が片方が閉じて、片方が開いているのはなぜなのか。
ガイガーカウンターに閉じた箱というと、「シュレーディンガーの猫」を連想させられる。1/2生きている猫、というか、観測不可能性といったことなんだろうかとぼんやりと思っていたら、スタッフの方に声をかけられた。ガイガーカウンターの計測は観客が接近することで環境が変化し、観測結果も変化する。観察するという行為が観察対象を変化させてしまう。
じゃあやはり、観測不可能性とか、そんなことなんでしょうかねえ、とか思ったことを話したら、作家の方が旧東ドイツ出身とのこと。するとオープンな社会とか、クローズな社会とかそうした意味もあるのでしょうかねえ、とかいった話題になり、そしてそのスタッフの方が言うのは、あの「惑星ソラリス」もこのインスタレーションに関係があるのだという。えええ。そんなの言われないと解らないよ。
「惑星ソラリス」の原作はポーランドの国民的作家であるスタニスワフ・レム(1921-2006)の作品で、要は惑星ソラリスに対して何か観察行為を行うと、観察者に応じたリアクションが発生する。ソラリスは観察者に対する絶対的な他者として存在し、理解される隙を全く与えない。その背後には人間には絶対的に知り得ない事象が存在するという世界観があるように思う。そうした一種の諦観に似たテーマはレムの他の作品『捜査』にも見られる。
観察することで観察対象が変化してしまう、あるいは「1/2生きている猫」が「生きている猫」か「死んでいる猫」という状態に遷移してしまう。それは人間には原理的に知り得ない情報が存在していることを意味する。それは「誰一人聞く者のいない森の中で倒れた木の音は存在するか」という馴染みある問いかけへと還元されていく。