■本当は1月初旬の連休中に金沢21世紀美術館に行きたかった。「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」展がはじまっていたからなのだけど、仕事の都合が入ってあえなくキャンセル。ホテルまで押さえたのだけど。ただ、「ニュー・ドキュメンタリー」は巡回展で金沢の次は東京オペラシティーアートギャラリー(TOCAG)。東京の方はもちろん顔を出しやすいわけで、TOCAGで会期が始まって即観に行った。実を言えばホンマタカシ氏の作品についてそれまで見たことがあったわけでもなく、写真展ということで若干微妙だったのですが、聞こえてくる金沢の評判がとても良かったのです。確かに面白かった。
TOCAGのサイトでも書かれていることなので、殊更隠す必要もないと思いますが、会場に入って最初に出迎える写真シリーズ'Tokyo and My Daughter'というのが、一見ホンマの個人的写真のような見せかけを持ちながら実は違う。簡単に言ってしまえばヤラセということになるのでしょうが、実際のところは「ホンマとその娘」という解釈を持っているのは見ている側であって、写真そのものは親娘であることを明確にしていない。ホンマが撮った写真と、少女の(本来の)家族が所有していた古い写真と、そしてホンマ自身が写りこんだ写真が並ぶことで「ホンマの家族写真」というコンテキストが観ている側に出来上がってしまう。
CGが使われてはいないので、写真に写されているのは実際にあった場面という意味で事実なのだけど、それらのシーンの連続から作り出されたコンテキストは観る側の中にしかない。つまり「本当の物語」は写真から伝わらない、という意味で事実は写っていない。写真はその時の景色を伝えはするが、その景色と結びついた物語は伝えてこない。写真が伝える「真実」というものは、写真を見た側が作り上げた、ある種の「虚構」ということになる。
ただ、作者は写真の虚構性を暴きたてようとしているわけではなく、むしろ写真そのものが鑑賞者に働きかける「物語を想起する力」を利用して、物語を作ろうとしているように思える。鹿狩りに同行して撮影したという「Trail」には雪原に残された血痕だけが写されている。事前に与えられたキャプションに従うのであれば、その血痕は鹿のものということになるが、写真の中には不自然なものもある。実際に撃たれた鹿を記録しようとしたのではなく、「鹿狩り」という物語を鑑賞者に作り出させようとしている、そのように働きかけようとしている作品のように思えた。ただ、先入観によって誘導された物語は別に不快なものではない。自分の中にあるそのメカニズムそのものが面白い