■大阪・中之島にある国立国際美術館で開催されていた「風穴展」のことは知っていたけど、なかなか時間を作れなかった。連休末に山口へ移動する途中に、ようやく寄ることができた。国立国際は半年ぶりかな。ウフィッツ美術館展はパスしたからそんな気がする。新大阪からだと大阪駅に出て地下鉄西梅田駅から四つ橋線をつかうけど、大阪駅の乗り換えで間違えて東梅田駅に出てしまった。中之島へは肥後橋駅で、JR大阪駅からは一駅。歩けなくもない距離なのだけど、あまりのんびりできないので素直に地下鉄で。
「風穴展」はアジア出身作家によるコンセプチュアルアート展。日本、韓国、中国、タイ、ベトナムなど、なんとなく福岡のアジ美がお株を取られてしまったような感じもする。「風穴」はコンテンポラリアートの主流に対してのオルタナティブな視点を提示してきた作家や作品を紹介している。
面白かった作品としては、韓国のヤン・ヘギュ、タイのアラヤー・ラートチャムルーンスックなど。別のところで見た覚えがなくもないのですが、それはそれとして。
ヤン・ヘギュの作品は、消費財を並べることで、若い娘や健康志向の人物、主婦、といった人物を特徴づける。購入活動によってその人物の特徴としているわけです。面白い手法だと思いますが、この方式での特徴づけは消費社会の中でなければ成立しない。個人が他者との関係性の中に置かれることは良くありますが、ここで他者は存在せず、商品の供給メカニズムとの関係しかない、その結果として個々人は特定されず匿名化されてしまう。類型化された〈個性〉のサンプルが提示されていると言ってもいいのかもしれない。
アラヤー・ラートチャムルーンスックはタイの農村へヨーロッパの田園風景を描いた作品を持込み、農民に鑑賞してもらう。その情況をビデオ上映している。農民はその絵画を「芸術作品」として鑑賞はせず、単に同じ農業を営む光景として解釈している。その解釈も美術館の中ではなく、田畑のはずれで行われていて、場違いなこと著しい。その即物的な解釈を学のなさとして笑うことは簡単だけど、実際にこのシーンでおきているのは「美術品」としての文脈を外された情況であり、単純に過去のヨーロッパの農村を絵として写し取ったメディアでしかない。それは一種の「裸の王様」と同じ構造なのですが、また一方で農民達がじつに良く絵を観ていて、その細部について現実的な解釈をしている。その視線の確かさに自分は何も見ていないのだと思い知らされました。