■先日都現美で大岩・オスカール・幸男の「夢みる世界展」を観た、というのはすでに書いた。柔らかい雰囲気の明るい絵から始まり、しだいしだいに現実世界のアクチュアルな要素を飲み込んでしだいしだいに悪夢めいていくという流れの展示(と受け取った)。また観てみたいなあとかぼんやり思いつつも、限られた時間の中で都現美だけに入り浸るというぜいたくもできず、また機会はあるだろうなあと思っていたら、全く別枠の個展が平行で行われていることを知った。岐阜で。‥‥え、岐阜?
会期はとうに過ぎてしまいましたが、たまたま暇つぶしにと手にとった美術手帳という雑誌でその告知が出ていました。会場はギャラリーキャプション。画廊ですね。場所は岐阜駅前徒歩数分。岐阜は名古屋から電車で30分。さすがに縁というのを感じずにはいられず、観に行きました。あちらは画廊なんで、「買い付けに行きました」とか書けたらいいんですが、さすがにそういうわけには。
GoogleMapでだいたいのアタリは付けていたのですが、岐阜駅周辺は勝手がわからずさすがに不安。だいたいこっちだろうと歩いていたら、家の幽霊を発見。
岐阜駅前には商店街があるのですが、訪れた土曜日の昼は殆どがシャッターを降ろしていて人通りは少なく。こちらの地方によくあるように、買い物客は車で便利な郊外のショッピングセンターへ向かっているのでしょうか。
それはさておき、うろうろしているうちにギャラリーを発見。特に大きく看板を出しているわけでもなく、品良く小さな案内板が見えるだけなので、見落とさなくて良かった。
「小さな世界展」では都現美でも展示されていた'Light Rabit and Shadow cat'の無彩色版スカルプチャが置かれ、他数点の新作が展示されていました。他に来客の無い状態でまじまじと観ることができて良かったのですけど、なんか都現美で観た時と印象が違う。《白い車》の記憶で観に行ったのですけど、絵のタッチは変わっていて《総理大臣の悪夢》の荒々しいタッチでした。でも描かれている世界は可愛らしい世界に戻っていました。
今にして思うと、タッチが大きく変わったわけではなくて、絵のサイズが小さくなったから相対的にタッチが目立っていたということなのかもしれない。つまり解像度の問題。
描かれているのは再帰的な世界で、例えばPCの置かれたデスクサイドの引き出しの中に、PCを載せたデスクのミニチュアが鎮座していたり、玉座の背の中に隠れるように小さな玉座が置かれていたり。ギャラリーキャプションのサイトに写真が掲載されていますが、玉座のサイズがそこに座る人物の器の大きさを反映しているとしたら、この椅子は隠れた王の内面を見せているわけで、ほほえましい。
こちらのギャラリーに展示されている作品には、「夢みる世界」展に観られたような、夢見られた世界へのアクチュアルな要素の侵入はなく、寓話的なまま閉じた可愛らしい作品でした。