■横浜美術館で始まったホイッスラー展は京都国立近代美術館からの巡回。ホイッスラーの作品は六本木アートギャラリーの「ラファエル前派」展や三菱一号館の「ザ・ビューティフル」展で観ていて、有名なラスキンとの確執もそこで知りました。ラスキンとの裁判闘争に陥るきっかけとなった「黒と金色のノクターン-落下する花火」は展示されておらず、キャプション内の縮小イメージだけであったり、ほんの数点エポックとなるだろう作品が外れているのは少し残念な感じもしました。個人的に「黒と金のノクターン」は(確か)六本木アートギャラリー側で観ていたので、そこは別に構わないところはありましたが。
「唯美主義」は政治的、宗教的なメッセージを抜きにして、ただ美的表現だけを追求する運動で、ホイッスラーの作品は色彩のパターンを具象的な絵画の中で追っていた、と理解しています。追求しているのは演劇的な場面の切り出しではなく色彩パターンであるためか、表現されるものは抽象的なものへと変質していきます。「黒と金色のノクターン」はその一つの到達点だと思いますが、ラスキンが深く関わっていたラファエル前派でよく描かれていた具象絵画の世界から観ると、描かれているシーンという情報を読み取れず、色彩の構成に意識が向かず「まるで絵具壷の中味をぶちまけたようだ」という評へつながったのではないかと思います。具象表現から抽象表現へと向かう中間過程を観ているような感じもします。
本展を観る前に、横浜美術館学芸員によるギャラリートークに参加しました。「ホイッスラー展」とは関連なく、常設作品の解説で、ホックニーの版画作品解説をうかがったのですが、作品を観る視点の持ち方が解って面白かったです。解ってしまえばなんでもないのですが、知らないと見出すことができない。「ものを観る回路」ができてしまうとそれと意識することもなくなるのですが、回路がないと受け止めることができない。ラファエル前派を擁護したラスキンがホイッスラーを批判したのもそれと似た状態だったのでしょう。ちょっとラスキンには同情します。