■都現美の「うさぎスマッシュ」「クリスタライズ」、常設の「つくる、つかう、つかまえる」を観た。常設の特集は以前企画展で行った「世界の測りかた」の焼き直しみたいなところがあるけど、今の世界をいかに認識するか/しているかというテーマを扱っている展では「うさぎスマッシュ」と通じていて、ただずっとドメスティックな感じになっていた。「うさぎスマッシュ」はタイトルがなんだかよくわからないけど、アクチュアルな世界を捉えてそこにひと蹴りいれている、でもウサギのキック、みたいな感じが。観に来て蒙が啓かれる人もいるのだろうけど、個々のテーマは今更感があるものが多いことを思えば、あれで啓蒙されたように感じること自体に危機感を持つべきではないかとも思う。
とかなんとか書いている自分も面白がっていたのは確かで、たとえば大腸菌に機能を組み込んで腸内健康状態で便の色を変えるとか(植物に工業的機能を組み込む)、幼児向け玩具に無痛針を組み込んでワクチン接種を抵抗なく広めるとか(ワクチン接種できるなら特定のターゲット遺伝子だけに発症するウイルスだって広めることができるだろう)、アメリカ-メキシコ国境を越境する人をサポートするというコンセプトの靴(個人的にはいちばんおもしろかった)とか印象に残る作品は多かった。
ただ、世界各地でなお残る紛争をテーマにそれらを戯画化した作品や、面白がっておいてなんだけど無痛針を埋め込まれた玩具とか、あんまりにも無邪気な感じもする。「無痛針を組み込んだ玩具」の展示の危うさはアイディアを語る側がそのメリットの酔っているか、あるいは意図的に隠したのか、道具の功罪というのは道具そのものではなく使う人間によって定まるという昔からよく言われることを忘れてはならないと思う。紛争をテーマにした作品はさらに酔っている感じが強く、単に何もできないことに対するエクスキューズでしかない。
そうした作品が存在しているという意味で「Brinco」(越境サポートシューズ)をめぐるニュースの中でアーティストが語った言葉は(当然そうしたことを意図していたわけはないが)象徴的だ。その靴はメキシコとアメリカの双方で販売されたが、その靴の捉えられ方はメキシコとアメリカで異なると彼女は言う。メキシコでは実用品として購入されたが、アメリカではコレクターズアイテムとして購入されたと。
「うさぎスマッシュ」の展示作品は特に日本人アーティストの作品はまだどれも「国境のこちら側」にしかない。同展の副題にあるように「世界に触れる方法」でしかない。越境のためのエントリーであって、実際に超えるかどうかは観た人それぞれに任されている。
「吉岡徳仁-クリスタライズ」はガラス、結晶を扱う光の作品。都現美には西側に大きな吹き抜けがあるけれど、そこに床から天井まで柱状に積み上げた巨大なプリズムが作り出す虹の作品「虹の教会」は圧倒的。ただ、「蜘蛛の糸」のように張り渡した糸に結晶を成長させた作品をずいぶん大層に説明していたのだけど、それは小学生向けの化学解説書でも読むことができる程度のもので、何で大げさなんだろうと思う。
同企画展は撮影禁止の掲示があるけれどスマホの撮影は可能で、しかしデジカメの撮影は禁止という意図が不明の運用をしていて(何のために撮影を禁止しているんだろう?)、「うさぎスマッシュ」で見られたいくつかの科学技術に対する扱いとも合わせてテクノロジーに暗い印象はぬぐえない。以前森美術館でLSDをおそろしく希釈した「レメディ」を御大層に紹介していたことがあったので、そういうものなんだろうなとは思うのだけど、美術館は現代技術に関するアドバイザーを持った方がいいんじゃないかと思わされることが時々ある。