■国立新美術館で始まった「具体展」。「具体」の名前は戦後日本の現代美術(あるいは「前衛」)作家の展覧会で必ず目にしていて、その存在はなんとなく知ってはいたものの、それこそ具体的には全く知らなかった。何かそう呼ばれる母胎的な活動があったのだ、ぐらいの認識。高度成長時代に入りかけた時期のそうした活動としてはもうひとつ「読売アンデパンダン展」というものがあって、ということは東京都現代美術館の常設展で知っていた。ただ、都現美での「具体美術協会」についての企画は個人的には眼にしていなくて、そこに参加していたパイオニア的作家、田中敦子や白髪一雄などの特集を目にしてはいた。
国立新美術館の「具体展」は具体美術協会の設立由来からその解散までを時系列に追う。活動の中から生まれる作品は時代と共に微妙に変化していき、参加作家の顔ぶれも変わっていく。その雰囲気は展示作品の傾向の変化でも伝わってくる。初期の芦屋で開催された屋外展示での大型インスタレーションやパフォーマンスは平面作品に変化し、アクリル板やモーターを使った(Make:的な)作品も後期には登場する。
「読売アンデパンダン展」の時代(1949-1963)とも呼応するように具体美術協会の作品も初期は荒々しい作品が多かったが、後期の大阪万博の頃になると静かな「冷たい抽象」作品が増えていく。その作風の変遷は「時代の空気」と括ってしまうこともできるが、それでもそれこそ都現美の常設展などで個々の作品を振り返ってみると古びたように感じない作品もあることに気がつく。
ただそれは作品価値の普遍性ではなく、違った受け止められ方をしているということではないかとも思う。作る側が「時代性」を超えられないように、観る側だって「時代性」を超えることはできないからだ。
個人的に面白かったのは白髪一雄作品の荒々しい作品の制作写真が展示されていたことと、その奥様である白髪富士子の静かな薄氷のような作品が展示されていたこと。
あとから思い返してみると大阪万博時代の作品よりも読売アンデパンダン展と同時期の作品の方が印象に残っていて、これは後期の「冷たい抽象」は見慣れてしまったからかもしれません。