■時間をテーマに扱った短編SFのアンソロジー。収録されているのは13編ですが、個人的に面白かったのは冒頭の3編。「商人と錬金術師の門」「限りなき夏」「彼らの生涯の最愛の時」 国内のSFがこれに加わるのなら、「美亜へ贈る真珠」あたりは確実に加わるのでしょうね。ちょっと古めかしいのと、ロマンティック系の話は時間SFとしての構造物が背景に追いやられてしまうので退屈。
タイムトラベルにまつわるパラドックスは、多元宇宙モデルで不問にされてしまい、今更感が強い。時間物は読み手の時間線と作中人物の時間線が一致しない状況があるのでパズルのようにプロットが組まれることが多かったけど、それも「夏への扉」あたりの時期にさんざんやられていて、その手法そのものはやはり、今更のようになってしまう。
「商人と錬金術師の門」が面白かったのは、それが古代ペルシャの説話風な体裁を取っている、そのスタイルにある。タイムトラベルのメカニズムもパラドックスもパズルのようなプロットも無し。それはもう、「強いて言えばSF」であって、別にファンタジーでも何でもいいという感じ。
ある特定の時間帯を繰り返す「タイムループ物」の不思議さは、当人の記憶はループせずに、延延と蓄積されていくこと。蓄積されていくのだとしたら、そこにはループしていない時間線が確実にあるはずなのだけど、それと作品舞台そのものの時間線が「ループ」するというのがつながらない。もし、時間というものが観測者によってその存在が決まるものだとしたら、「しばし天の祝福より遠ざかり…」は実はタイムループものではない。単なるビデオプレイヤーがループ再生されているのと同じで、(毎日同じことを繰り返す人々にとって)時間は普通に流れ続けているからだ。
「時間SF」ということでは、もしかしたら「過ぎ去りし日々の光」が一番純粋に時間SFに近いのかもしれない。しかし、今、スローガラスのアイディアは古びているどころか、無意味なものになってしまっている。パーソナルなビデオカメラは媒体寿命さえ問題にしなければ、いつまでも往時の姿を残し続ける。そしてこのアンソロジーを読了して、時間SFというジャンルの面白さよりも、資料的な今更感を覚えてしまうのは、本アンソロジーそのものが〈スロー・ガラス〉のような効果をもたらしているからかもしれない。