■2/20~3/1の間、恵比寿にある東京都写真美術館では「恵比寿映像祭」が開催されていた。なんと入場無料。だからというわけではないんですが、見に行きました。映像祭ということで長丁場のフィルム上映もあったのですが、そちらは時間的に難しいので展示ものばかりを。ひととりぐるっと。
てっきりメディアインスタレーション主体かと勘違いしていたんですが、普通に「映画」もありました。そうでないインスタレーションもありましたが。
個人的に一番気に入ったのは2Fロビーに展示されている岡田憲一の『エモートスコープ』。単なるスコープなんですが、光学系の中にぜんまいで動くシャッターがあり、目の前に見えている景色がスコープを通すと8mmフィルムで見ているかのような映像に変換されてしまう。
「懐かしい」という言葉が連想されるわけですが、見ているのは目の前にあるリアルタイムの光景であるので懐かしいはずがない。周辺光量が落ちたフリッカーを伴う映像を、見ている自分は8mmフィルムの映写映像のように感じていて、その8mmフィルムに記録された映像を「懐かしい」と感じている、その連想する回路が呼ばれている。
押井守が『映画は記憶である』と言っていますが、その意味は違うのかもしれませんが、そこに近いものを感じます。
3Fにはウォーホルなど、いわゆる巨匠達のインスタレーションが展示されていました。ウォーホルの『スクリーン・テスト』は、確かにスクリーンテストなんですが、スチルのポートレイト写真の動画版のような雰囲気もありました。動画によるポートレイトというと『液晶絵画』展でのジュリアン・オピーを連想したのですが、ウォーホルから続いているコンテキストがあったわけですね。映像に残された人の中に岸田今日子を撮影したものがあったのですが、今と全然変わらないのはちょっと可笑しかったです。
他には宇川直宏の『DAYLY PSHCHIC TV/EMPEROR'S DEAD』 無数のラテカセ(そういやそんなものあったなあ)に昭和天皇崩御時のニュース映像を流している畳の間の奥は壁一面にうずたかく平積みされたビデオカセットの山。そんな昭和の私的空間の光景は終わってしまった。あの末期は「バブル」と呼ばれていたはずなんですが、その内実はそんな貧しい景色でしかなかった。だからこそ「バブル」だったわけですが。
面白かったのは2Fの古郷卓司、キャンディ・ファクトリー・プロジェクツの『18:49』などの一連の作品。そこらにある景色を撮影した映像の断片をループにして流しているだけなんですが、ループさせた映像をアップさせたり、回転させたりしているので、ぼんやり見ていると、長回しの映像を加工したように見えてしまう。しかし、実際に映っているのは5秒かそこらの瞬間的な映像でしかない。その瞬間がループ化され、動きを与えられ、永遠に引き伸ばされてしまう。その中に映っている人々は機械のように同じ動きを永遠に繰り返している。正確に同じ動きを繰り返す(当たり前だ)のでロボットのように見えてしまう。
その映像の中には2種類の時間があって、1つは映されている対象の時間。この作品の場合は5秒かそこら。そしてもう一つは映像作品の時間。これは観ている側の時間とリアルタイムに同期が取れている。劇場で普通に映画を観ている時、この2種類の時間を意識することはない、というかそんな必要もないわけですが、その2つの時間は確かにある。
例えばTVシリーズの『24』は観ている側の時間と放映されているドラマの中の時間が同期を取れているかのように作られているわけですが、その制作にかかる時間が24時間だったかというと、もちろん違うわけです。無論、そんなことを改めて暴露するのは無粋というものなんですが、映像作品が全てその2種類の時間を持っているのは否めないのではないでしょうか。