■チャイナ・ミエヴェルは『ジェイクを探して』『都市と都市』で知ったのだけど、その暗く、鬱々とした都市空間の描写が、昔みたイギリス製のTVドラマ(例えば「マックスヘッドルーム」とか)を思わせて懐かしい。決して快適ではなさそうだし、それどころか無用心になるには危険そうですが、猥雑として面白そうな街。そのミエヴェルの『ペルディード・ストリート・ステーション』は2009年に単行本で出ていたものが文庫落ちしたそうで、上下2冊の大ボリューム。
舞台になるのはニュー・グリブゾンという街。19世紀のロンドン、「シャーロック・ホームズ」に描かれる古ぼけた街並みを連想させて、それがスチーム・パンクを思わせるけど、スチーム・パンクのような過剰な代替テクノロジーは描かれず、科学のような扱われ方をされる魔法が便利に描かれる。「リメイド」と呼ばれる身体改造者が行きかい、ガルーダやカエルやサボテン、昆虫といった人のような人でない種族が当たり前のように混在して生活している。労働者への抑圧、裏世界のボス、地獄の住人に次元世界を行き来する知能を持つ蜘蛛とありとあらゆるものが放り込まれ、果ては切り裂きジャックまでが唐突に登場する。
複雑な巣を織り上げる蜘蛛のように、物語は幾つかのラインが走る。タイトルに使われた「ペルディード・ストリート・ステーション」はニュー・グリブゾンの街の中心になる一大ジャンクションで、その意味で作品を象徴している。幾つかのラインは1つに収斂され、クライマックスを迎えるが、その割にはこの駅はなかなか登場しない。
大きなラインはガルーダのヤガレグと、科学者のアイザックだろう。この二人が抱える物語は寄り添う部分もあるが、大きくは異なる。しかし、二人とも無垢な立場には無い点で共通しており、その結末もまた苦い点で共通している。違いがあるとすればそこには時間差があり、ヤガレグはすでに喪失を抱え、アイザックも喪失を抱えることになるところだろうか。
アイザックが迎える結末は厳しいものではあるけれど、そもそもの経緯を考えればそれも致し方ないように思う。最終章の「審判」は直接的にはヤガレグのことを描いているけれど、しかし同時にアイザックもまた審判は行われている、とも読める。
二人とも罪を犯し、その罪を購おうと、あるいは購う結果となっている。しかし、罪が帳消しになるわけではない。ヤガレグはその審判を受け入れ、都市に溶け込む道を選び、アイザックは都市から離れていく。二人のラインはジャンクションで一時交わり、そして別れていく。'Perdido'とはスペイン語で「失った」という意味だ。