■先に読んだ『剣の名誉』とは発表順序が逆になるのだけど、年代記的に見ればこちらの作品が後ということになる。『剣の名誉』から40年程後の時代を扱っている。『剣の名誉』で女丈夫を魅せたキャザリンは推しも推されぬ女侯爵として存在感のあるバイプレーヤーの場所にあり、主人公の一人は彼女の従弟であるセロンになっている。
同性愛描写がそここに出てくるというのはともかくとしても、仮にそれが異性愛のそれであったとしても再三出てくる描写のそのうっとうしさにはさすがにうんざり。一人悪役がいて、まあ彼なりの信義に基づくものではあるのですが、それなりの大事をしでかすことになる。権力闘争絡みなのですが、彼としては期待された役目を果たしたことになって、褒美をもらうんですが、それが依頼主である上位権力者に抱かれることとなるともう笑うしかない。案外つまんない男なんだな。ていうか、おまえらは揃いも揃ってホルモンしかないのか。シャレ(それもシモの)じゃないぞ。
ただ、その性的な強調は、表面上否定されている〈魔術〉が何だかんだ言いながら作中世界においては脈々と形を変えて流れていることを示しているようでもある。そう思ってみれば、〈王と魔術師〉のペアは1つだけではなく、表層はともあれ、結果的には二人の魔術師とそれぞれが擁立する王同士の争いだったとも読める。
屋台骨となる話は零落した信仰・魔術体系の復活であり、『陰陽師』(夢枕獏/岡野玲子)にも通じる部分がある。面白かったのは、作中での現在において魔術は否定されているのだけど、その魔術が実在したことを実証的に示そうとする学者をもう一人の主人公に配している点。また、描かれる魔術も穏当なもので、ファンタジーゲームの演出のように派手なエフェクトを伴うわけでもなく、前近代風に描かれる世界とうまく馴染んでいる。
魔術体系が生み出した幾つもの風習は、土着の匂いが色濃く漂う、というと綺麗な感じだけど、読んだ雰囲気からは血と精液の臭いが漂う。ロマンチックかというと、どうだろう。作中世界でこの魔術体系がどことなく落ち着きどころがないのは、〈魔術〉に対抗する世界観を提供する思想体系が作中で提示されていないからだろう。例えば、ケルトに対するキリスト教とか、あるいは錬金術に対する近代科学といったような対抗馬が作品世界には無い。かろうじて地動説のような話が垣間見えるくらいで、特に魔術を明瞭に否定する材料があるわけでもなさそうだ。
主人公の一人、歴史学者である、バージル・セント・クラウドは実在する物証を拾い集め、偏見に歪んだ古代史の真の姿を呼び覚まそうとする。魔術の復活はその象徴かもしれない。彼が政治的な御用学者に論争を仕掛け、真理を明らかにしようとする様は糜爛し倦怠感漂う作品世界の中で若々しく見える。
しかし、彼のカウンターパートとなるもう一人の主人公、セロン・キャンピオンとなると途端に冴えない。セロンには試練が与えられるとされているのだけど、何が試練なんだかさっぱりで、おまけに何も成長しない。お人形として始まり、お人形として終わる。セロンについては神話的な構造を持ち込みながら、あくまでもそれをなぞるだけに終始しているような印象があって、その意味ではやはり主役は学者先生の側なのだろうなと思う。
だいたい、予兆も何もださずに、物語が始まった時点ですでに〈王と魔術師〉の関係はできあがっていることになっているのだから、そこには驚きも何もない。唐突だったので戸惑いはしたけれど。
クラウドのパートについては、例えその意志が途絶えたとしても、意志そのものは弟子達へと伝えられていく。政治的意志に歪んだ学会の中であっても、真理をただ実証の中から求めるその思想の不滅性を希望に思わせて終わる。もしこの世界そのものが続くのだとしたら、魔術そのものも科学の一体系として組み入れられることになるのだろう。それはファンタジーとしての読み方というよりは、確かにSFのような読み方なのかもしれないけれど。