■荒廃した台地を南へ歩く父子。眼に映るものは全て絶望としか思えない世界。動くものは人の姿しかなく、そして食人が横行する世界。幾つかの幸運に助けられ、二人は旅行きを続ける。しかし、その果てに何か明確なゴールがあるとは思えない。とうてい思えない。
何か終末的な大戦があったことは読み取れる。食料となる家畜も、天然の野菜も手に入らない。二人は何度か餓え死にしかけるが、そのつど保存食品や燃料のパッケージを発見して生き延びる。
しかし、その「幸運」が幸運だと、読んでいても思えない。「生者が死者を羨む」というのは、かつて全面核戦争後の世界を形容するのに使われた言葉だが、文明が壊滅した後、再建する期待が何も見えない世界で生き延びたところで、しかも、永い冬が訪れた世界で、何をもって一つの区切りとできるのか。
『ザ・ロード』の長い道行きを読む中で感じたのは、遅延された死の過程、終末期ガン患者の受容過程を読むようだということだった。
ただ、作者は単なる絶望の世界を描いているつもりではないということは、繰り返し出てくる「火を運ぶ」という言葉から薄々読み取ることはできると思う。単純にプロメテウスを連想しなくもないが、しかし彼らはどこかから「火」を盗んで来たわけではない。
卑近な例えを使えば、この話は一種の聖火ランナーの1行程を描いたものだったのかとも思える。「火」は次のランナーに渡されたのだ。ただ、それでも、その先を思い描くのは難しい。
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