■恵比寿映像祭も5回目。写真・映像を主軸とした、メディアアートが中心ということになると思うけど、展示されているのは作品だけに限らず、写真関連の資料も含まれる。なんとなく微妙な展示が多かったように感じていたのだけど、今年は面白かった。会場は3F,2F,B1に分かれ、3Fはジャーナリズム色が強く、2F,B1はメディア・インスタレーション作品が多くなる。
テーマは〈パブリック⇔ダイアリー〉ということで、個人的な記録と公的な記録の曖昧な境界上にある映像作品が多い。映像記録を残せる人々がまだ限られていた昔は、映像記録はほぼ公的なメディアイメージが占有し、「パブリック」と「ダイアリー」の区別ははっきりしていた。戦前・戦中の国策広報である「写真週報」は戦意高揚を呼びかけるが、戦局が悪化するにつれ表現は過激に、(そして今にしてみれば)虚構色が強くなっていく。
今回の展示ではボスニア内戦をテーマにした映像が多いのが特徴で、それらのどれもが、戦争当事者からの発信ではなく、戦場からはやや距離を置いた、第三者的視線で戦場の一局面を切り取っている。20人の民間人が民兵に連れ去られて行方不明になったが、そのうち一名の身元がいまだ明らかでない、戦場においては人ひとりの所在など簡単に曖昧になってしまうことを示すヒト・スタヤルの〈KISS〉、シェイラ・カメリッチの諸作品は戦場における女性の立ち位置の弱さと、彼女らへのエールが込められる。
それらボスニア内戦を舞台にした諸作品は、記録対象は私的なものだが、同時にボスニア内戦がどのような性質を持っていたものかを教えてくれる。その意味で公的な報道資料以上に公的な資料性に富む。
私的空間と公的空間を接続した作品という意味では野口靖の〈レシート・プロジェクト〉が面白い。来場者から集めたレシートを、その位置と時間列、購入品目をキーにして構造化して視覚化する。その見せ方も面白いが、単なるレシートの束から持ち主の消費行動はもちろん、その背後にある人物像もぼんやりと見えてくる、プロファイリングツールになっている。個々人の消費行動は言うまでもなく私的なものだが、紛れもない経済活動である以上、その行為は公的空間に含まれている。レジでもらうレシートは私的空間と公的空間を結ぶタグになっているわけだ。ちょっとレシートの捨て方を考えようと思わずにいられない。