■新年なんだからそれらしいネタをと思わないでもないのだけど、なんかもういい加減そういうのも飽きたので、普段どおり。ただ、まったく普段どおりというのも芸がないので、ちょっとらしくまとめてみたいとか思っていたり。ただ、まあ、単にワタリウムに島袋さんの個展を見に行きましたという話なんですが。
「島袋道浩展 : 美術の星の人へ」は北青山にあるワタリウム美術館で'09/03/15まで開催中。原美術館でジムランビー(こちらは後日紹介の予定)展を見た後、目黒に移動し、都バス黒77に乗って北青山三丁目に移動しました。地下鉄外苑前駅よりは近かろうと思ったのですが、大してかわりませんでした。青山ベルコモンズの角を曲がって代々木方面へ歩くとちょっと高めの蕎麦屋があってその裏にあるCR造の建物がワタリウム。
島袋さんを知ったのは豊田市美術館のブルーミング展が最初ですが、その時のアーティストトークで、「現代美術というのは未知のものに出会う訓練だと思うんです」と語っていたのが未だに印象に残っています。日常の中に埋没してしまうと未知のものに出会うということがなくなるし、むしろ出会うことを避けるようなバイアスがかかると思うのですが、そこにあえて見慣れないものを放り込んでやる。それは時には鬼面人を驚かすような作品を出されるアーティストの方もおられますが、島袋さんはどちらかと言えば「人を喰った系」の人。うすらすっとぼけて、こちらが笑い出すのを待っているような、そういう感じがします。
ただ、笑わすというのは難しい技術だとも思っていて、島袋さんというと個人的には「タコの人」なんですが、うーん、微妙。ブルーミング展のペペンチスタの演奏はむしろ見事としか言い様がなくて、楽しかったのは確かなんですが、感心して見入ってしまったし。
ワタリウムでの展示も基本的には同じなんですが、ただ、今まで解っていなかった島袋さんのスタンスがはっきりしていて、良い展示だと思いました。
面白かったのは2Fのドイツの学生に「夜霧よ今夜もありがとう」を歌わせているビデオとか、3Fの「箱」とか「飛ぶ私」とか。2Fにはドイツの学生が微妙な日本語で歌うビデオのほかにゴルフスイングのネットがあったりするんですが、どちらも「予期しなかったこと/未知のこと」を体験する作品です。それだけで非日常だというわけですね。ただ、ゴルフの方はうるさいです。
3Fの「箱」はエレベーターを出たところにまるで置き忘れたかのように置かれているダンボール箱がいきなりボヤくという作品で、これは可笑しかったです。でもこれ、作品であると気付いてもらえなかったら蹴飛ばされたりするんじゃなかろうか。
3Fではイタリアで日本の蛸壺を持ち込んで蛸漁をするという、まあ、イタリアの蛸にとっては未知の体験だ、とかそんなところだと思うのですが、現地の漁師さんも島袋さんも見事壺にはまった蛸を見て大喜びしているのが楽しかったです。そして「飛ぶ私」は島袋さん自身の等身大のイラストをタコにして飛ばすというビデオで、蛸漁からの連想だろう、みたいな。蛸採りがタコ。
「象のいる星」はワタリウムの屋上にある作品ということで、寒風に吹かれながら外階段を上っていくと屋上に出て、パオーンと鳴き声はすれども象の姿はなし。え、っと振り返ってみると、という作品。最初は「やられたな」みたいな感じで、冬の東京のランドスケープを眺めていたのですが、実はこれはワタリウム入り口前で売っているアーティストブック「島袋道浩:象のいる星」がセットになっていて、個人的にはその本をもって初めて作品としてクローズしたように思いました。腑に落ちた、と言うか。
その本には「この星に象がいることをどうやって実感するか」というキャプションがつけられています。そう、この星のどこかに野生の象はいる。それは知識としてもちろん持っている。でも、感覚として持っているわけではない。
そして、この本はワタリウムではなく、「ビッグイシュー」と同じ、ホームレスの方が売っている。だからワタリウムの外で売っているんですね。そういう人が同じ街で暮らしている。そうした人たちも生活しているんだという実感、あるいは想像力を呼び戻そうよ、とそうしたメッセージを持った企画展だと思いました。