■先月も黄金町には行ったのだけど、その時はまだ公開制作期間中でまだ作品展示は不十分な状態だった。作品展示期間に入ったので、改めて黄金町再訪。前回は日差しも暑さも厳しかったけど、今回日差しはともかく暑さはやわらいでいて、そこは助かった。
前回は地域をざっと流してめぼしいところだけを回ったけれど、今回は全展示ブースを黄金町駅から日ノ出町駅へ向かうようにまわった。あまり現代美術、ことにこうしたオルタナティブスペースでのサイトスペシフィックなタイプの作品に慣れていない人にも入りやすい作品てどういうのかなあという視点でまわって、そうなると高架下新スタジオなどに展示されていたような解りやすいドローイング作品になってしまうのかなあ、などと思いました。地元で集められた様々な小物を再構築したインスタレーション作品は、「土地の記憶」という読み解き方ができると面白いと思うのですが、即物的に観てしまうとがらくたと映りかねないわけで、どう受け取られるのかよく解らない。
興味深かったのは雨宮庸介氏の展示にあった作家自身の解説で、そこには「黄金町バザール」という活動が、かつてそこにあった特殊飲食店などに代表される経済活動に依存した人々と対峙する政治的な姿勢を帯びていることを意識しつつ、その対峙するどちらの側にもコミットしきれない心情が書かれていた。
正直言って、作品をもって語らしめるのが好ましいと思ったのだけど、何かに参加すること自体がある種の政治的立場を取ることにつながることへのためらいが書かれていて、そのことは興味深かった。政治的に利用されることへの抵抗、のようにも読める。ただ、参加を断るという選択肢も取れたのではないかとも思え、何か煮えきれないものは感じる。それでも、初音町・黄金町の「街の再生」という一見「良い」活動が、もう一方の弱者を追いやってしまったという指摘は傾聴に値すると思う。ただ、作家も述べるように、その土地の住人でもない自分に何かジャッジするようなことを言う資格がないことも確かだ。その点では、観客である自分も作家も同じ側に立ち、同じように土地から疎外されていることになる。
通して観終わってみると、まとまって作品を観れたブースが印象に残っていて、やはり、高架下新スタジオや竜宮美術旅館が面白いと思う。9月の準備期間とは違う作品がかかっていたり、手が加わっていたりしていて、見所が増えていた。竜宮美術旅館は寝室を使ったインスタレーション2作品がいずれも〈夢〉をキーワードに使っているのだけど、この建物の元々の用途を考えるとそこにも何か陰鬱なものを読み取ってしまう。雨宮氏のモノローグにあったように、土地が持っているコンテキストの中で見てしまうとあまり単純に愉しむこともできないのでした。