■「ヒロシマ」は記憶装置だ。「広島」は中国地方の一地域だ。なんかそんなようなことを想った。
宮島からの帰り、広電の原爆ドーム前で降りたときは日没直後でドームは黄昏を過ぎた宵闇に溶け込もうとしていた。外国人旅行客が数人、原爆ドーム周辺を歩いていて、つい、どういうつもりでこの辺りに来たのか聞いてみたくなった。『若き数学者のアメリカで』若くて髪もふさふさな藤原先生が真珠湾のクルーズに乗ったエピソードがあったけど、その逆バージョンみたいなものだ。結局インタビューをしたりはしなかったけど。
2日目はメーンイベントの広島市現代美術館(HMOCA)。来れる時期があったので来たというだけなので、企画展の詳細を全然調べてなかったのですが、行ってみたら、DOME/ヒロシマ・モ・ナ・ムールと写真展が開かれていました。DOMEとヒロシマ・モ・ナ・ムールはなんだか区別がつきませんでした。一応展示会場は別れているんですが、どちらもヒロシマを強く意識した作品が多くて、多少ヒロシマ・モ・ナ・ムールの方が触れ幅は大きかったかしらん。
DOMEは原爆ドームをモチーフにした作品群の展示で、ドームそのものをシンボル化したモデルやら、あるいは力強く静謐な土門拳のモノクロ写真とか、宮沢りえのビデオ映像とドーム写真のオーバレイとか(《アレンジメントI》)。
個人的に一番印象に残っているのは原爆ドームを前に大根を銃のように構えた女の子3人の写真(《ベジタブル・ウェポン・スペシャル──牡蠣の水炊き鍋、とろとろ湯豆腐、
美酒鍋/広島》小沢剛)。遠目にはおもちゃの光線銃みたいに見えるんだけど、近くに寄ってみると大根とにんじんとシメジとピーマンみたいなもので作られた銃みたいな形をした何かだったのだった、って鍋の材料らしいんだけど。
ばかばかしいけど、本当にこのウェポンが使い物になったら素敵じゃないか。みんなで鍋つつけばいいんだよ。‥‥なんかそういう絵本というか児童文学作品がありそうな気がしなくもないんだけど。
ヒロシマ・モ・ナ・ムールはドームのような具体的なシンボルは後退した反面、雰囲気はずっと重くなっている。ヒロシマは結局ヒロシマ以外のものになれない。殆ど葬儀会館のような雰囲気の中で、《われらが狂気を生き延びる道を教えよ(ヒロシマのための)》(アルフレッド・ジャール)あたりがとどめ。
多少生き抜きめいた作品が草間彌生というのが重苦しさを示しているというか、まあ、それでもじゅうぶんクる作品なんですけど、《自殺の儀式》で指がにょきにょき生えているのってなんか見覚えあるというか、「エヴァ」のアダムっぽい造型しているなあ、とか。あと、ペニス様のものがにょきにょき生えている《The Man》って身も蓋もないなあ、とか。
館内の重い空気を感じながら、先日訪れた金沢の21世紀美術館のことを思い返していた。たぶん、ここはヒロシマという記憶装置でありつづける限り、ああいうオープンな雰囲気を持った和やかな場所にはなれないんだろうなとそんなことを思った。そして、たぶんそういう場所になることを目指してはいないのだろうな、とも。なんせ山の上だし。夏場に徒歩でアプローチするのは大変だったよ。県立広島美術館とはえらい違いだよ。