■SIAF最終日。先日休館日で観れなかった北海道立近代美術館会場を観て、そのあと余った時間で買い物したりふつうに観光する予定を立てた。この日は観光ガイドにも乗っていた喫茶さえらでモーニングセットを…と思っていたのだけど、行ってみたらモーニングセット以外もあって、タラバカニを軸にしたサンドセットがあったのでそちらを頼んでみた。
腹ごしらえを終えても、近代美術館の開館時間に若干余裕があったので、思い切って円山公園まで行ってみた。ここには動物園もあるけど、そちらまで見て回る余裕はさすがにないので北海道神宮だけ簡単に参拝することにしました。これだけ大きな市街の近くに広い敷地を持つ神宮がある街というと、名古屋を思い出します。幅広の目抜き通りを持つことや鉄骨の塔を控える「大通り公園」が存在するのは名古屋の栄を彷彿とさせますが、市街規模は名古屋のほうがずっと広がっているのは確かです。札幌の市街には原野の中に計画的な都市空間を必死に拡張してきた結果できた空間のような印象があります。
北海道神宮をざっと見てから大通り公園方面へとって返して近代美術館に。面白いことにSIAFに使われているのは美術館の半分で、残り半分は通常の常設展が行われています。美術館からしてみるとSIAFはあくまでも企画展示としてスペースを貸しているだけ、というスタンスのように見えます。全館あげて協力体制をとっていた愛知トリエンナーレの愛知県美・名古屋市美や横浜トリエンナーレの横浜美術館とはずいぶん違います。札幌での現代美術の紹介のされ方というのを知らないのですが、現代美術は郊外の「札幌芸術の森」が中心で、近美はもう少しエスタブリッシュ(?)な作品にあくまでもフォーカスする、ということなのかもしれません。あるいは、もしかしたら学芸員としてはもちろん現美を押さえているが、美術館のリピーターは現代美術をキワモノのように見ているので、バランスをとるために常設展を並行開催したのかもしれません。
ただ、その企画展としてのSIAFも新作は少なく、現代美術へのイントロダクションのように感じました。……ただ、これは実際そうした意図があったのかもしれません。SIAF全体のエントリーとして現美作品の大きなところを配置して、次に芸術の森、という流れを想定していたのかもしれません。だとすると今回は順路的には逆になってしまったことになります。
会場に入ってすぐに出迎えるのは夕張炭鉱の記憶をなぞる'YUBARI MATRIX 1002-2014'(岡田昌夫 2014)の大きなフロッタージュ作品です。「炭鉱」がたどれる記憶である、となると炭鉱以前の札幌は何があったのか不思議な気持ちになります。「過去から現代までの連続体」がSIAF全体のテーマのひとつになっている中で炭鉱がフィーチャされてしまうと、「炭鉱以前」が消えてしまいます。もっと単純に言ってしまうとアイヌ文化への視線が希薄になっています。札幌の現地での意識は解らないのですが、外地にいる人間からすると、当然あってしかるべきと思うのですが。
改めて振り返ると、やはり初日の札幌芸術の森が印象に残ります。半分トレッキングっぽい会場だったのですが、現代美術を扱うトリエンナーレものとして面白かった会場でした。次いでモエラ沼公園本体、となるのですが、これはSIAFとはまた別の視線においてです。空撮の写真だけをみるとなんだかしょぼい感じなのですが、実際に現地に入ってみるとそのスケールに楽しくなります。この公園は自然を模倣しようともしておらず、徹底的に人工的な空間にしたてているのも面白かったです。欧州の宮殿庭園の造りに似ています。
そして500m美術館が無料で公開していていいのか、という内容でした。チ・カ・ホや500m美術館は観客を市街に還流させようとする意図があったのだと思います。空間的には500m美術館の方が古くて味があり、そのコンテキストの中に現代美術作品が配置されているというのが面白かったです。
最後はテレビ塔にも上ったりしたのですが、写真を撮ってみるとずいぶん縮んでいるような感じになります。広角レンズのゆがみのせいかなと思ったのですが、実際に札幌テレビ塔は下部にある展望フロアの高さが低いみたいですね。上部の展望台から札幌市街を見下ろすように写真を撮ってみて改めて感じたのですが、札幌は後背地の山地が近く、そちら方面には名古屋のようにスプロールする余裕がなかったのですね。市街はモエレ沼公園方面へとスプロールしていったようでした。
一通り観終わって撤収となりました。
札幌芸術の森は何か面白い企画展があったらまた訪れてみたいものです。旅費を考えるとよほどのものでないとちょっと考えてしまいますが。