■作者ジュンパ・ラヒリはベンガル人の両親を持ち、1978年ロンドンで生まれ、幼少時に渡米した。その複雑な出自は書かれる短編にも投影されているようだ。表題作『停電の夜に』をはじめ、『ビルザダさんが食事に来たころ』『病気の通訳』『三度目で最後の大陸』など9つの短編を収録。ラヒリは『病気の通訳』でO・ヘンリー賞を、『停電の夜に』でPEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞を獲得し、2000年にはピュリツァー賞を受賞している。
表題作『停電の夜に』はシンプルな話だ。初めての子供が死産だったショーバとシュクマール夫妻の物語で、二人の間はうまく行っていない。ある日電力会社から工事のために夜間停電となる通知が来たことで二人の間にコミュニケーションが再開される。妻ショーバが、停電の間、蝋燭だけが明かりとなっている間だけ、互いに相手に隠していることを告白しあうことを提案したためだ。
停電で暗くなっている間だけ隠していることを話す、というルールが終盤でうまい効果を生んでいる。ちなみに『大停電の夜に』という邦画がありますが、あれとは関係ありません。というか、むしろ逆のタイプの短編。
異なる文化間のギャップに悩む人物が頻繁に顔を出す。夫婦というのは文化間の衝突という点ではコンパクトなものだろう。ギャップがあればその中継ぎをする通訳・インタープリターが存在する、というのが『病気の通訳』 通訳が病気なのではなくて、普段病院で通訳を務めているから「病気の通訳」 その彼が外国人観光客夫婦の間にあるギャップに接するハメになってしまう。全体的にちょっとしたロードムービーっぽい雰囲気を持っている。
異なる文化間のギャップ、というのは作者自身のアイデンティティに絡んでのことなのかもしれない。両親はベンガル人で、そのベンガルの国、バングラデッシュはまずインドから切り離され、ついで東パキスタン(バングラデッシュ)として独立する。
その独立戦争当時を直接に扱ったのが『ビルザダさんが食事に来たころ』になるが、おそらく主人公のリリアには作者自身がある程度投影されているのではないかと思う。遠く、海を隔てた祖国について、リリアが教わるアメリカの学校は何も教えてはくれない。リリアの家に遊びに来るようになっていたビルザダさんはその東パキスタンに家族を置いてきたのだけど、その状態の中で内戦状態となってしまった。リリアはビルザダさんの家族の無事をハロウィーンで集めたお菓子をひとつひとつ使って願う。その祈りにはイデオロギーもエスノロジーもなく、ただ親しい人の家族の無事を願っているだけにすぎない。その点でリリアはすでにコスモポリタンだったのだと言える。
ロンドンに生まれアメリカに暮らすベンガル人である作者には、そうしたポジションをとるのは自然な成り行きだったのではないかと思う。
その出自がモチーフとなっているのが末尾を飾る『三度目で最後の大陸』ということになるのだろう。この短編では故国を出た青年がロンドンから米国に渡り、そこで伴侶と共に一つの家庭単位を作るまでが描かれる。この作品に彩りを添えているのは青年が渡米してからの下宿先の大家である老婦人の存在だろう。時期としてアポロが月に行った時期であり、その成果を無邪気に誇る老婦人は、たぶん、当時のケネディ時代の空気のようなものを伝えているのだろう。
青年の元へ嫁いできた若妻とは恋愛の過程を経ていないためかあまりしっくり行かなかったのだけど、この老婦人に祝福されたことが契機となってうまく行くようになる。祝福を得る二人の姿は、冒頭の『停電の夜に』の二人や、『セン夫人の家』『神の恵みの家』に登場する夫婦と比べても対照的だ。
連作として書かれた短編集ではないので、直接比較することは危険かもしれないが、夫婦二人のアメリカナイズの度合いが作品それぞれによって異なるように思える。『停電の夜に』の二人は二人とも米国人のようだが、『三度目で最後の大陸』の二人は自分達のアイデンティティを未だ残している。
ただ、連作短編集ではないのだから、そうした分析から作者のスタンスを読み取ろうとすることにあまり意味はないのかもしれない。