■仕事場が品川にあったりするのですが、いわゆる品川駅は品川ではないらしく、北品川という地名が品川より南にある、というのは良く知られている、のかな。確かに考えてみれば、今の品川駅のあたりは東側が埋立地であり、西側は品川プリンスホテルのある丘陵がすぐ目の前まで迫っていて平野部が殆どないし、そもそもあのあたりは「高輪台」と呼ばれる一帯で、品川ではない。原美術館へ通うようになって御殿山界隈に足を踏み入れるようになり、比較的古い家屋を目にするようになって、昔の品川の姿を思うようになったのだけど、どうにもこうにもあの辺りは人の手が入りすぎている。
時代劇はよく目にするので、江戸の町というものがかつてあったことは知っているし、なんとなくイメージもわく。昭和初期というか、大正から昭和にかけての東京の姿というのも、例えば『帝都大戦』なんてあったりして、イメージがもてないわけでもない。ただ、「江戸」と「帝都」では乖離が大きすぎて、その間が埋まらない。都市景観のミッシングリングがそこにあって、江戸から東京への変化が連続してものとして実感が持てない。まあ、持てないからと困ることはないんですが、もやもやとしたクラウドがそこにあるわけですな。
本書は主に戦後間もない時期に、作者の幼年期である明治中期に暮らしていた品川での思い出について書かれている。そこに描かれているのはまだ幕末の名残を薄く残している品川の姿で、例えば車夫として生計を立てている元直参(らしき人)がいたり、「士族」「平民」という言葉がまだ多少生きていたりする。
そうした古い品川の姿は、この随筆が書かれた戦後間もない時期にはすでに失われていたようだ。筆者の視線はおそらく懐旧の念もあってか、かつてそこで暮らしていた市井の人々の姿に向けられている。
そのなんでもないもの、ありふれているが故に記録されないものに対する目線は、品川宿以外についてふれた随筆、例えば『壺』などの作品にも共通して読み取ることができる。
随筆集の末尾は枕草子について触れた一編があり、これを漫画の起源に絡めて紹介しているのだけど、これがずいぶん面白かった。漫画の起源というのはともかくとして、枕草子を噛み砕いて、ざっくりと紹介されていて、ああそういう内容だったのかと。内容も何も、枕草子は学校の授業でもだいたい春はあけぼので終わっているから、そこに当時の宮廷人の様子が描かれているなんて知らなかったのだ。それじゃあ枕草子を読んでみようかと思ったものの、考えてみれば古文は駄目なのだった。