■日本の現代美術作家で好きな人は何人かいるけれど、小沢剛はその一人だ。2008年の広島市現代美術館(HMOCA)で開催された「ひろしま」展で出会った「スーパー・ベジタブル・ウェポン」にやられてしまった。原爆ドームをバックに立つ黒衣の女の子3人。それぞれが胸に構えるのは大根や白菜で作られた「ベジタブル・ウェポン」。彼女らの表情は硬い。僕はこの作品がとても好きだ。
今年、上野の森美術館で開かれた「ネオテニー・ジャパン」展でも小沢の「ベジタブル・ウェポン」は展示されていたけど、「スーパー」はなかった。ただ、あったとしても広島で出会ったような衝撃は感じなかっただろう。「スーパー」はやはりヒロシマにこそふさわしい。そんなにしょっちゅう露出していたら有り難味も薄れるしね。

「透明ランナーは走り続ける」は広島市現代美術館で行われている小沢の個展だ。マーティン・グリード展と平行した常設に小沢が制作したインスタレーションが展示されて期待を盛り上げさせられた中、(個人的には)満を持しての開催ということになる。
Culture Powerインタビューで話だけは聞いていた「なすび画廊」作品が勢ぞろいし、「地蔵建立」の写真群、どこかユーモラスなコロボックルのインスタレーション、比治山をモデルにしたスタンプラリーのセットは夏休みの子供向けを意識したのか。天井には絨毯が吊るされているが、その原料は天山だか崑崙だかの周辺で回収されたペットボトルを使っている。そして、「ベジタブル・ウェポン」を構えた女性モデル達のポートレート群。その最奥にあるのはもちろん「スーパー・ベジタブル・ウェポン」だ。
「ベジタブル・ウェポン」は鍋の材料を組み合わせ、アルチンボルドの絵画のごとく銃器の形にしているのだけど、題材になっているのは日本の鍋だけではなく欧州、NY、アフリカ、東南アジア、中央アジアでも撮影されている。NYのモデルがやたらと銃を構える格好が様になっていて笑えたり、チベット・ラサのモデルの娘さんがやったらかわいかった。
これは個人的な感想でしかないのだけど、祈りに似た視線がこもる「地蔵建立」の写真といい、この「ベジタブル・ウェポン」といい、小沢の立ち居地はとても明確で、優しい気持ちと、タフな眼差しを併せ持っているような気がする。原爆というものを知ってしまった世界の中で、何かを決意したかのような表情の少女が手にする「ベジタブルウェポン」に仮託されているものは、たぶん我々の祈りだ。
ところで会場に入って最初の部屋にある「新・なすび画廊」は画廊の中に展示されている作品は小沢のものではない。草間彌生の作品があったり、照屋勇賢の「Notice」があったりで、意外とオトクな感じが。
もっとも、「なすび画廊」のコンセプトは、日本の「貸画廊」というシステムへの批判だったりするので単純に喜べるものでもないようですが。