■「ウィンター・ガーデン」は7月20日まで開催されている原美術館の企画展。副題に「日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開」と附けられていて、「マイクロポップ」って何? というのが正直なところですが、これはキュレーションを担当した美術評論家の松井みどり氏による造語とのこと。身近にあるモノを解体し、再構成する形態を指しているようなのだけど、それはコラージュみたいなものなんじゃないのか、と直感的に思う。展示を見てみるとそこまで単純なものじゃないようなんだけど、改まってマイクロポップと呼ぶようなものなのかなあ、とは思う。
マイクロポップは置いておいて、面白かったのはギャラリー1の「VINYL」(八木良太)。氷で作ったレコードで、再生しているうちに溶けてしまう。既成のレコードから型を取って、その型を使って氷を作ったのだろうとは思うけど、「凍った音が溶けて音が再生されている」みたいな情景のように見えて面白かったです。このレコードは企画展看板のイメージ(上の写真)にも使われています。
2Fギャラリー3の「キュロス洞」(泉太郎)は人物を撮影した映像をたぶんホワイトボードに映写して、投影された人物像の上に黒マジックで、投影された人物像には似ていない人物画を何度も何度も上書きしていくというもの。黒マジックによる主線が引かれてしまうと、その主線による人物画を認識してしまって、投影されている人物は単なる色彩的なテクスチャに後退してしまう。もちろん投影された人物像が全く識別不可能になるわけではなく、そちらはそちらで認識することはできるのだけど、その場合、上書きされた主線はノイズになる。投影画像と描画像を同時に認識することは難しくて、認識された人物画像は交互に入れ替わる。
おそらく〈マイクロポップ〉なるものを良く表しているのがこの「キュロス洞」ではないかと思う。
ありふれた既成のイメージを使って、別のイメージに再構成してしまう。今回の展示には入っていなかったけど、たぶん田中偉一郎氏の「ハト命名」のような作品も含まれるのではないかと思う。ただ、改まってそれを「マイクロポップ」と言われても、とは思う。
先日観た「ネオテニー・ジャパン」の「ネオテニー」というキーワードが興味を惹くのは、それが作品群を括るイメージであるのと同時に、その作品を生み出した時代背景(要するにそれは〈今〉なんですが)のようなものが透けて見えるからなんですが、「マイクロポップ」というキーワードは手法の表現に留まっていて、その背景にまで届いていないように思います。意地悪く読んでしまうと、「イメージの縮小再生産」ということになってしまうようにも思うのですが、全体的な傾向がそうかというと、他の展示会とか観て歩いてきた中ではそんなことはないように感じていますし。