■原美術館からの帰りにBankartによって「記憶のイメージ/イメージの記憶」展。タイガーボードの吉野石膏がスポンサードした公益財団による展覧会で、過去にいくつかの展覧会やイベントで目にした作品を再び観ることができました。展覧会のタイトルに「イメージの記憶」とあるのはその点で面白く、記憶の中にある作品の印象というのは、まさしく「イメージの記憶」です。
過去の展覧会で見覚えがあったのは、新国立美術館で毎年開催されているDOMANI展や、最近のところではイチハラxアートミックスで展示されていた作品などでした。中でもイチハラxアートミックスの廃校になった小学校の教室で大きく展示されていたインスタレーション作品が、Bankartの倉庫の中で、ほどほどのスケールに見えているのは面白かったです。イチハラの廃校の中で観た時は室内一杯に視野をふさぐ大型の作品のように見えていたのが、倉庫の中ではさほどのスケール感がなく、そして作品に使われているモチーフが把握しやすくなっていました。また、横浜という土地にいて改めてこの作品に相対すると、もともとこの作品に使われていた「市原で撮影された」風景にも距離感が生まれ、「古いドイツの小学校の写真」と「市原の懐かしい風景」が等価になって見えるのも面白い点でした。作品の置かれたコンテキストが変わってしまったため、作品の受け取り方も変質してしまったようです。作品そのものは変化しているわけではないですから、変わったのは観ているこちら側です。
展示されている作品の中で一点、まじまじと見入ってしまったのは薄墨で描かれた鶏の絵でしょうか。背景に新聞記事がうっすらと見えていて、薄墨の濃淡で塗り分けられた図と地のパターンが入れ替わるように新聞記事から鶏へとイメージが変化していく。その鶏も新聞記事も近くによって見ないと解らず、遠目には銀色に塗られた幕のようにしか見えないというのも面白かったです。近くに寄らないと何が描かれているのかわからず、しかも使われている墨に何か混ぜてあるのか金属光沢を帯びて、正面からだと室内照明の光を反射して判然としない。ななめから見て、ようやく描かれている鶏を見分けることができました。観る角度で見えるイメージが変わっていく、それが(たとえば先日あざみので観た「ヴィトリーヌ」のような光学的な仕掛けを持ち込まずにドローイングだけで実現しているのは面白かったです。