■福岡・博多は2ヶ月ぶり。九州大学の美学美術史を専攻する学生によるAQAプロジェクトにより企画された「おとなりさん。」展を観に行くのが目的。会場はおなじみ中洲川端のアートリエと箱崎にある九州大学キャンパスの大学博物館内と2箇所に分散。じゃあ、まずアートリエに行って、それから箱崎、と思ったら箱崎の開場が16:30と遅いのだった。かと行って、午後に博多へ行くというのもかったるいので、ちょっと迷って天神・大名にも行くことにした。
天神のアルティアムは「Wonderwall Archive」としてインテリア・デザイナー片山正道の「ワンダーウォール」による店舗インテリアの展示会。これはちょっといまひとつ。天神に隣接する大名には紺屋2023があり、ここでは「記憶と記録」展。こちらもアーカイブなのだけど、大名という土地に限定された、風俗史的な側面も持つかなりドメスティックな内容。
インタビューをファッション、溜まり場、音楽、などのテーマごとに分類して再編集した内容で、余所者である自分には面白い内容だった。たぶん、この天神・大名というエリアは横浜の山手から桜木町にかけてのあの界隈と似ている側面があるのだろうと思う。特に興味を引かれたのは、「天神」と「大名」を意識して差別化していることで、「町」という領域に対する感覚が自分と比べて狭いらしいということでした。博多駅前の祇園から中州・川端、天神というエリアは普通に歩ける距離で、自分には全部ひっくるめて「博多」として認識してしまうのだけど、かつてはこれらの拠点はもっとばらばらに認識されていたらしい。そして、「大名」という町は「天神」に隣接した地域なのだけど、この2つもまた別の町として認識されているらしい。その領域感覚の差異が面白かった。
紺屋2023を後にして中洲川端へ引き返す。まずは福岡アジア美術館。こちらは「現代中国の美術」。「中国の現代美術」ではない。ほぼ、絵画作品のみで、立体作品は入り口付近に数点ある程度。伝統回帰志向、体制支持的なモチーフが目立ち、その作品の並び自体がお国柄を感じさせる。プロパガンダとまでは言わないが、強い現状肯定と、若者文化(ということはつまり西欧文化ということになるのだろうが)の否定的視線が特徴的。伝統回帰も若者文化への否定的視線も、国家により邁進が続く近代化の副産物だとすると、このままでは彼らのモチーフはよりプロパガンダ的な色彩を強めざるを得ないのではないかという予感もする。
アジ美を後にして地下のアートリエへ。いよいよ「おとなりさん。」
こちらは日韓作家の作品展示。基本的に新作はないようす。日本人作家は国本泰英、牛島光太郎、八幡亜樹。韓国作家はアン・ジョンジュ、チョン・ヨンドゥ、キム・ソンヨン、オ・ソックン、サタ。アートリエ会場はホワイトキューブ的空間で、こちらではオ・ソックンの「教科書」シリーズが単純に面白い。子供時代の印象に残った場面を戯画化された子供が再現するもので、「教科書」と言いつつも教科書にはまず出ないであろうシーンが構成されていて面白い。再現されたシーンというのが「屋上に散乱しているエロ本を見つけた」とか「何か悪いことをして、罰としてクレーンで逆さ吊りにされた」とかいった、単純に面白い場面であるということとは別に、そのシーンが「教科書」には似つかわしくない場面が選ばれているということに、「かくあるべき」という子供に対する建前と、その実体という本音の乖離が見えていること、そしてまたその乖離が日本でも「ありがち」なことだということ。
この乖離の表現は些細なことではあるけれど、「教科書」という体制の道具を利用しての表現であることが、アジ美の「現代中国の美術」と大きく異なる点で、そこに自由な空気を感じることができる。それが中国と韓国という双方の「おとなりさん」の違いということになる。
そしてまた「教科書」の表現方法によるビジュアルの印象が、日本の「教科書」のテイストとは異なるということが、日本と韓国の(単純な)違いということになる。
「同じではない」お隣さんは、しかし「全く違う」わけでもない。紺屋2023のインタビューで福岡住民のインタビューに軽く感じた違和感は、韓国、中国と遠ざかるにつれ大きくなっていく。地理的距離とは違う、文化的距離は、玉ねぎのように層をなす文化レイヤーのどのレベルで差異が生じているかということで定まるのかもしれない。
中洲川端を後にして、箱崎の九大キャンパスへ。冬なので16:30を過ぎるとほぼ日没。会場は産業遺構を残すための倉庫で、雰囲気がありあり。その中に作品が展示されているのだけど、照明はろうそく、暖房はストーブのみ。作品は倉庫内の古い道具類の中に配置されていて、舞台装置としては満点。暗いので作品そのものが見難い(ビデオ作品は別にしても)のが難点だけど、雰囲気としては十分。その中で上映される「ミチコ教会」(八幡亜樹)が、その教会建物の寒々しい空気と、関わる人々の暖かさというのが会場の空気とよく合っていて、臨場感は他の会場(Bankart,森美)で観たときよりも増していたように思う。夕方にかかるというのがスケジュール的に厳しい感じはあったけど箱崎を訪れた甲斐はあった。明るい中で観ると、また雰囲気ががらりと変わってしまうだろうということは想像がつく。面白い場所だと思いました。