■国立新美で年度末に恒例の現代美術企画。「Domani -明日-」も「アーティストファイル」も毎年企画されているけど、会期が重なっていたところを狙って行ってきた。どちらも新人を中心に取り上げているのだとなんとなく思っていたのだけど、今年はDomaniには曽根裕、澤田知子、塩田千春の名前があるし、アーティストファイルには志賀理江子の名前がある。
Domaniは入ってすぐに神 彌佐子の鮮やかに色彩が躍るインスタレーション作品に出迎えられる。ふつうのドローイングかと思ったら、布に彩色した作品があり、奇妙な懐かしさを感じさせた。行武治美の赤い壁に鏡を使って正月のシンボルイメージを作り上げたインスタレーションは鮮烈な印象を残す。こてこての正月的シンボルがポップに仕立て上げられて、お屠蘇気分も消し飛ぶシャープな作品。
平野薫のドレスを糸に解体して繊細に再構成した作品は既視感があると思ったら、広島の吉宝丸展(2009)の参加作家だった。服はそのままだと「服」という機能的要素を持ち続けるが、それを一度解体し、服としての形態を連想させつつ服ではない何かに再構成してしまうことで、「服から連想させる」何かを象徴したオブジェへと変貌する。服などの人が身に着けるモノには、元の持ち主の記憶がどこかにこびりついている。
曽根裕の作品は以前、オペラシティーアートギャラリーの個展で見たものとほぼ同じ。塩田千春の「大陸を越えて」は2008年に大阪の国立国際で見たものをややスケールダウンして構成されている。サイズは小さいけれど、その作品の背後に持つイメージは今なお強烈な力を持っている。インスタレーション作品というのはなんだかピンとこないものだなとそれまで感じていたのだけど、大阪でその作品に触れて、そうした苦手意識を払拭してくれた作品。人々が集まる土地に蓄積されてきた記憶のかたまりを可視化している。
アーティストファイルは国内外の作家を紹介している。正直言って、こちらはあまり印象に強くはなかったのだけど、志賀理江子の「螺旋海岸」は強烈。螺旋海岸に使われている写真そのものは別の展覧会で見ているけれど、それはふつうのパネル展示で、それに対して今回の展示は写真展示というよりはインスタレーションになっている。志賀理江子の組写真が作り上げる世界はどこか非現実的で、闇を覗き込んでいるような緊張感を覚える。何かが起きているのだけど、それが何かは解らない。そんな感じ。それはふつうの写真展でも感じていたのだけど、それがインスタレーションになって、より強烈になった。会場内を丹念に歩かないと写真が見通せないようになっていて、従来のパネル展示と違って驚きが予想されることがない。不意打ちを食らわされる感じで、それはキューブリックの「シャイニング」で時折インサートされたショックなカットから受ける印象とも似ているように思う。