■今更という感じはしますが、文庫落ちしたので、初めて読みました。噂にたがわぬという奴ですね。過剰殺戮という事象に事欠かない一方で、我々は平和を希求する心も持っているわけで、その相反するものが同居している人間というものを理解しようとしている。またその一方で、古典的な〈人間観〉が一度解体され、人工的に再構築された姿も描いている。
(たぶん肝心な)『虐殺器官』あるいは本文中で触れられる「虐殺の文法」そのものはフィクションであり、具体的に描かれることがない(現実であろうとなかろうと、描くことはできないわけだけど)のでその部分は意外と印象が薄い。
ただ、本当にそういう器官が人間に備わっているのだとしたら、それはむしろ楽観的になれるのではないかと思う。過剰殺戮を引き起こすのが人間に備わった特定の部位によるものだとしたら、その部位を取り除けば過剰殺戮は起こらなくなるからだ。
実際のところ、作中、主人公から取り除かれるのはむしろ〈良心器官〉とでも呼ぶべきものだろう。
特殊作戦要員であり、暗殺を次々と遂行する「ぼく」──シェパード大尉の道行きから見えてくるものは、〈ヒューマニズム〉の根底にあると思われる心のありようが物理的基盤に乗った、人為的に操作可能な対象物であるということだ。
「痛み」があることを知りつつ「痛み」として感じないという、限定的な離人症的な状態におかれることもある主人公は、どこかで良心の呵責が存在することを知りつつも呵責を感じることができない。明確に言語化されていないと言い換えることができるかもしれない。
作品の大半を通して描かれるのは、あまりにも暗い世界、絶望の中にある世界観だ。そこに救いがあるようには思えず、実際、作者はそこに救いを描こうとしてない。しかし、「ぼく」はやがて罰を求めるようになる。作品の結末そのものは絶望的ではあるが、そこに至る主人公の描かれ方の中に見えるものは、人間に対する作者の信頼、あるいは一縷の希望であろう。