■先の震災はあちこちの美術館での企画展スケジュールに影響を与えたのだけど、大きな地震だけに物理的に影響をこうむった施設も少なくない。水戸芸術館もその一つで、施設の目玉のパイプオルガンが破損したりして、しばらく閉鎖しなければならなくなっていた。当然、計画されていた企画展も中止され残念だった。もちろん修復は行われていて、8月には活動再開となった。「CAFE in Mito - かかわりの色いろ」というグループ展で、過去の水戸芸での展示に参加した作家の作品が展示されている。水戸芸の活動を振り返る、一種の回顧展でもある。神奈川近美の展示のコンセプトとも似ているけど、新作も混ざっているのが違う。
水戸は黄門まつりを控えていて、ちょうちんがいっぱい。雲はかかっていたけれど日差しもあってやや蒸し暑い中、駅前の大通りを歩いて水戸芸へ。前回来たのは確かツェ・スーメイの個展だったから2年ほど前のはずで、それでも道順はなんとなく覚えている。
ギャラリーの最初の部屋はドローイング。入り口はいって両脇の壁にかけられた川島秀明の〈Head Wind〉と青山悟の〈maria〉が目を惹く。〈maria〉の静かな祈りの図像は鎮魂であり、〈head wind〉に描かれる少女の立像は向かい風に逆らって歩む。頭身が小さめに描かれ、イラストのような少女の表情には悲しみも喜びも読み取ることは難しく、ただ力強い決意がそのまなじりに湛えられている。この二つの立像画はそれぞれ独立して制作されたものだが、配置の妙と、人物象がこの2作だけということもあって、二人の女性像が第一室全体を見守っているように見える。
第一室に展示されたドローイングはどれも色彩が豊かで、暖かな印象に溢れている。
第2室は奈良美智のインスタレーションが大分を占める。傷ついた少女のポートレイトはそのキャプションも含めて見た目の「かわいさ」とは違い、直裁的で攻撃的だ。彼女たちは傷ついているが、その言葉は戦うことを求める。スタンスは〈Head Wind〉と似ている。傷ついた事実は消せないが、進むしかないのだ。
第3室は写真作品が中心。中でも三田村美土里の〈Beyer〉が「夏休み」の記憶を呼び覚まして懐かしい。雑草に覆われ濃く緑に染まった土手と青い空に、日傘を差した和装の女性。それに並んでバイエルの楽譜が提示される。「バイエル」という記号は子供時代と結びついている。しかし、それはもしかしたら、人によっては、地域によっては喪われた景色となっているかもしれない。
実質的に3室で終わっているのが少し物足りない感じがしたのは確かだ。しかし、質は高い展覧会だと感じていた。何より、水戸芸の活動再開を告げるのにふさわしい、明るいスタートを象徴しているように思う。ただ、訪ねた時は、まだパイプオルガンには保護ネットがかけられたままだったし、外壁でタイルが剥離した場所がまだ残ったままとなっていて、完全な復旧にはまだ少し時間がかかりそうだった。しかしそれでも来年にはきれいに復旧していることだろう。