■伊勢現代美術館に度々訪れるようになったのだけど、距離的には厳しいものがあって、単に美術館と名古屋の往復で終わってしまいかねない。それはそれで割に合わないというか、せっかく自然の勢いが強い土地に行きながら、その景色を殆ど見ないまま帰るというのは主義に沿わない。なので先日の田曽白浜ほどではないにしても、少し手前で下車して歩くことにした。今度は志摩磯部からのアプローチで神津佐で降りる。「神津佐」って読めますか?
神津佐は'Konsa'と読む。難読地名リストに必ず含まれているが、これは難読どころではなくて、知っていないと読めない。読めない、というか、解っていても「読んでいる」気にならない。インデックスから違う単語を引っ張り出している感じだ。「さ」は解る。「こん」も何となくわかる。じゃあ「津」はどこに行ったという感じだ。本来「神津佐」からほぼ導かれる読みがあり、それが訛って「こんさ」となったのだろうという見当は付くのだけど、面白いと思ったのは、読みの訛りに追随して漢字の方が変化していないことだ。
「こんさ」の由来について土地の方に尋ねてみたところ、「かみつさ」が訛ったのだろうとのこと。たぶん読みはそうなのだろうとは思うのだけど、では「神津佐」とは元々何を指していたのか。
歴史がある土地だけに、南伊勢には一見難しい地名が存在している。美術館近くに「ワンバ」というバス停があり、当初はまったくもって何のことやら見当もつかず、正直当惑していたのだけど、これは「湾場」ということのようだ。
おそらく「神津佐」もワンバ的な、地勢に沿った即物的な側面があるのだろうという気がした。
その神津佐は地図上ではここにある。
地名の由来を辿るサイトで良く出くわす解釈によれば、「津」とは港を意味し、「津佐/つ・さ」は「津狭」、すなわち狭い港を意味する。一方で「神津」はそのままでは神の港を意味するが、例えば「神津島」の由来は「上津島」から転じたものという解釈もあるように、違う意味があったのかもしれない。
地図を南に移動させると、そこには「下津浦」がある。「浦」は入り江とか湾を意味するのだという。なるほど、その名前にふさわしい地勢を持っている。となると、解り易い話で、下手の広い港である「下津浦」に対応する、上手の狭い港としての「上津狭」が転じて「上津佐」となったであろうと推測される。
「上津佐」→「神津佐」は神津佐川河口から遡ったところに神社があることから、「神の港」の意味を重ねたのかもしれない(が、その神社の名前が「神津佐神社」だから建立は地名の後かもしれない。実際に訪れてはいないのでそのあたりは不明)。
そして、地名の読みはおそらく次のような変遷を経たのだろう。つまり、「かみつさ」→「こうづさ」→「こづさ」→「こんさ」と読みが縮んでいったのではないだろうか。
これで郷土資料でもあたって古い文献での地名の変遷でも見つけられればこの仮説の補強材料となるのだけど、残念ながらそこまで調査するリソースがない。きっとそうだったのだろうなあと勝手に想像して、昔の漁村の姿を想像するだけだ。