■夏の暑い日ざしにくじけそうになりながら比治山を登って辿りついた広島市現代美術館では原爆ドームをモチーフにした「DOME」展、ヒロシマをモチーフにしたコレクション展示の「ヒロシマ・モ・ナ・ムール」展、そして「ひろしま Strings of Time ──石内都」展が開かれていた。
石内都の名前は初見ではなかった。広島に来る途中立ち寄った大阪の国立国際美術館のコレクション展示で石内都の「傷跡」「アパート」を中心にした写真を見てきたばかりだった。さらに言えば、昨年暮れに都写美の戦後写真史回顧展(という名前ではなかったけれど)でも目にしていた。ただ、あの時は写真家のタイトルが多すぎて誰がどれだか頭に入っていなかった。
でも今度はさすがに覚えた。大阪と広島で同時期に展示があったのは偶然なのか。広島の会場では石内の「傷跡」シリーズになぞらえてのヒロシマ写真というような趣旨のキャプションがあったのだけど、大阪でその肝心の傷跡シリーズを観ていなかったら感覚的に腑に落ちないままだったろう。
なにしろ、大阪で「傷跡」シリーズを目にしたとき思ったのは、これからヒロシマという大きなトラウマを見に行くという時に奇遇だなあという呑気なものだった。奇遇もなにも、その広島で石内の最新シリーズを観ることになったわけだ。
自分にも物心つくまえについた傷があって、もうそういった傷があることすら普段は意識していないのだけど、ただ、そういう傷が自分をユニークとしている側面があるのは確かだと思う。少なくとも他人が経験しなかった時間経過が「傷跡」というフォーマットで記憶されている。
「人生は記憶だ」というエピグラフがあるが、その一方で人間は偽の記憶を作ってしまうことがある。しかし、傷跡は「記憶」よりもずっと即物的な記憶装置であって、新陳代謝によって身体を構成する物質の大半が入れ替わってしまったとしてもなお傷は傷として残る。そこに、人生のあるイベントが刻み込まれている。
まあ、自分の場合は物心つく前なんで、どういうことがあったのかは全く覚えていないんだけどね。
大阪で強い日差しに沸騰しかけた脳みそでぼんやりとそんなことを思いつつ、広島行きの新幹線の中で一眠りして、宮島の大鳥居にコーフンして、原爆ドーム見て、翌日に石内作品と再開したわけだった。
「ひろしま Strings of Time」は広島平和資料館蔵の被爆者の遺品を写真に収めたものだ。被爆時に着ていた被服とか、メガネとかいったもの。そして写真家は石内都、というのはあまりにもわかり安すぎる。不遜な言い方だけど、お約束すぎる。
遺品なのだから、当然、持ち主がかつてあったはずであり、そして現在撮られた写真である以上、その持ち主は写ってはいない。しかし、その不在によって、却って持ち主の存在を意識させられてしまう、ということはある。そしてまた、遺品の保存状態というか、撮影時の状態が生々しい。持ち主だけがいなくなってしまったような、そういう写り方をしている、というのは観ている自分が意識しすぎなのかもしれない。そしてもちろん、被爆した遺品が無傷であるはずなどないのだ。
自分が自分の傷跡を見るとき、そこに確かに自分という存在の連続性を感じる。小さいときにもこの傷は目にしていて、そしてまた今も見ている。
それを思えば、ヒロシマはヒロシマ以外のものになることができない、というのは自然なことなのだろう。目を覚ませば傷はそこにある。
でも、いつまでも自分の傷跡を見つめているわけにもいかないんじゃないかとも思う。その傷があなたをユニークな存在にした。では、そのユニークさを生かせていけばいい。それは例えば《ベジタブル・ウェポン・スーパー》みたいなものかもしれない。そうであって欲しい。そんな風にちょっとどんよりしながら館内を歩いた。
でも、まあ、観覧している時は重い気持ちだったのだけど、レストランからの展望は比治山山頂から市内を見下ろす格好になって気持ちよかった。野菜カレーを頼んだのだけど、このカレールーの味にはなんか覚えがあるなあ。こう、あっためればいいやつ風の‥‥。まさかね。