■森美術館のゴー・ビトゥイーンズ展、「こどもを通して見る世界」とあるので、てっきり夏休みシーズンによくある家庭向け・子供向け企画かと思ったのですが、ぜんぜん甘くはないのでした。確かに切り口は「子供」なのですが、その中にはクリスチャン・ボルタンスキーや塩田千春、奈良美智(これはテーマを考えれば当然の選択という気もしますが)といった名前も見えます。近藤聡乃、梅佳代の作品もありました。
正直子供向けと思っていたのですが、子供をテーマにした作品だから子供向けになるわけもなく、作品を通して浮かび上がるのは子供が属する社会の姿であったり、大人になる過程としての「子供時代」の普遍的な姿であったります。どちらにしても子供向けにしては難しい。
子供を通してみる社会の姿、では少年兵は扱われていませんでしたが、「かつてあった」児童労働(現在の児童労働ではなく)の姿や貧困の姿、あるいは第二次大戦時に日系移民が味わった収容所生活を切り取った写真作品が中心となっています。東京都美術館収蔵作品が目立ちましたが、当時としては報道写真の扱いだった写真でしょう。
対して「普遍的な子供」の姿を扱った写真や映像作品からは文化的背景が違っていても子供は同じように振舞うことがわかります。その中で異色なのは塩田千春のビデオ作品で、子供たちに生まれた時の記憶をインタビューする。「生まれたときの記憶」ではなく、自分が生まれる瞬間の心象、というべきなのでしょうけど。
面白かったのは『エイト』(テリーサ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラー)というループフィルム。突然降り出した大雨で台無しになってしまった8歳の誕生会が悔しくて雨が降りしきる中、置き去りにされたケーキを切りに庭へ出ていく少女、といういじらしい姿が延々と繰り返される。子供は過去の追憶と未来の予想から切り離された現在のみを意識して生きている、という点で永遠を生きているとも言えると思うのですが、その姿が『エイト』の中で象徴的に描かれているように感じます。
映像作品としては他には『さあ、月へ』(スヘール・ナッファール&ジャクリーン・リーム・サッローム)が印象に残ります。パレスチナのガザ西岸地域を舞台に行商(というか押し売りですが)してわずかな生活費を稼ぐ少女が内に抱える夢を描きます。舞台はイスラムですが、そこに描かれる夢見る少女の世界に文化的ギャップは感じません。
本展を通して描かれる子供の姿は「逆境の中でも希望を想像しつづける」ものです。子供の本質はそこにあるのだろうと思います。ただ残念なことに成長していくにつれ現実と折り合いをつけていく中で想像する力は弱くなってしまう。ただ、子供たちが持つ想像する力が社会を動かすポテンシャルになっているのは確かなことで、子供たちが多い地域ほどポテンシャルは大きいのだろうとも思いました。
夏休みの子供向け企画と思っていたのでしたけど、全然違う企画展でした。