■練馬区立美術館は初めて。練馬区の位置把握も曖昧で、山の手サークルに対して北側とは把握していたけど、東側だと思っていた。池袋から西武池袋線で中村橋駅で下車。駅前の立地は丸亀市猪熊源一郎美術館を彷彿とさせるけど、建物の規模はずっと小さい。住宅地に溶け込んでいて、あまり突拍子も無く威容を誇るようなところではなかった。建てられた当時はもしかしたら違ったのかもしれないけど、今ではごくオーソドックスな役所施設のように見える。
PLATFORM2011はMOTのアニュアルのようなコンセプトで、練馬区立美術館としての現代美術展として、浜田涼・小林耕平・鮫島大輔の三人展という形式となっている。
浜田涼はぼやけた写真やそのドローイングで曖昧に把握される世界や記憶の中で、何か特別なものの漠然とした印象を強調する。世界を明確に把握していないのではないかという指摘が突きつけられる。
小林耕平はビデオインスタレーションが中心。その影像の中では〈ある行為〉だけが記録されている。しかし文脈は失われていて、何を意図しているのかは全く伝わらない。普通、人は何の意図もなく行為を行わなず、その意図を他人は行為者の置かれた情況から〈文脈〉を読み取り、その文脈の中で推測する。そうしたメカニズムを持っているのだけど、小林はその〈文脈〉をキャンセルしてただ〈行為〉だけを記録する。意味を失った行為は、しかし、観る側によって再解釈されることで異なる意味を持たされてしまう。
鮫島大輔のドローイングでは街並みや農地が、何を強調するわけでもなく均一に描かれる。ありふれた、どこか弛緩した日常の空気が淡々と描かれる。人が描かれることは少なく、描かれた景色は無表情だ。面白いのは'flat ball'という一連の作品で、全周360度を写したパノラマ写真の風景が球体上に描かれている。単純に魚眼レンズで覗き込んだような効果が得られているし、円筒の内側を写した風景を球体に座標変換しているわけで、円筒の外側の世界が球体の中につまっている、ある世界の断面を3次元的に切り出しているともうけとれる。その中に描かれる風景に特別なものは何もない。都市、住宅地、郊外、しかし無人の世界。
今回のPLATFORM2011はそれぞれの作家がそれぞれの手法で世界を認識している、そのありようを示していて「距離をはかる」という副題は一つの見方を求めていて良い展示だと感じました。ただ、その副題は「世界の深さの測り方」を出したMOTアニュアルにどこか似ていて、しかしMOTよりは解りやすく、そこがまた展示の内容とは違う点で面白かったです。