■横浜美術館に横山大観展を観に行った。日本画のトレンドを押さえていないので当時それら作品が発表されたことの意味などについては評伝から漠然と知っているにすぎない。でもここの作品の好き嫌いというのはそうした美術史的な捉え方とはまた別にあるわけで、「春曙・秋雨」とタイトルを思い出せないのですが、茫洋とした滝の水墨画、瀑布本体は気配として遠く、水煙に隠れたように配置され、手前右側の崖にはえた松のシルエットははっきりとしている。
ただ、それよりも印象に残ったのはコレクション展側で展示されていたルネ・マグリットの「王様の美術館」でした。
「王様の美術館」は黒のバックに森の景色が人型に抜かれたシルエットに目鼻がついている絵で、ちょっと不気味な感じがしなくもない。
背景を人物の型として描いてあるわけで、逆転された描かれ方をしていて、そこが面白いと受け取ることもできるけど、ではなぜ「王様の美術館」なんだろうと改めて思いました。
たぶん解釈は何度となくされてきていると思うのですが、「王様の美術館」とわざわざ銘打っているということは、そこには素晴らしい作品が収められているに違いない。それは理想としての美術館であろう、と。それが万シルエットの中に風景が描かれている形となったというのは、内面に持つ美しいビジョンこそが理想なのだろうと。マグリットが描いたのは、広大な景色で、その世界の広さは計り知れません。その内面世界が「王様の美術館」ということなのだろうと、そんな思いに至りました。
「王様の美術館」は自分の内にあり、外にはない。原語の持つニュアンスが残念ながら汲み取れないのですが、そうした内面世界を持つ人は「王様」ということになるのでしょう。
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