■たぶん、説明不要のルーシー・リー。国立新美術館でルーシー・リー展(2010/4/28~2010/6/21)が開催されていた。山口にいる間、萩焼の小鉢や皿など目にしていて、それはそれで惹かれるものがないわけではなかったのですが、以前テレビで見たルーシー・リー作品を目にしたときに感じたものほどではなかった。今回せっかく実物が見れるのだから、実物を目にしておきたい、と。手にすることはさすがに無理だろうけど、実物は見ておきたい。実物には写真やビデオ画像とは異なるマテリアル感があって、やはり印象は異なるものなのだから。
梅雨入り寸前の東京。やや蒸し暑く。美術館に直結している乃木坂駅6番出口を出て、屋外チケット売り場を通り抜けて中に入ったら、ルーリー・リー展のチケットは屋外販売のみとのこと。屋外だとSuicaで清算できないのがちょっと、というか、新美のチケット売り場は屋内だったり屋外だったりして戸惑う。売り場は固定してくれないものか。
展覧会は要は回顧展であり、展覧会はリーが陶芸家としてのキャリアをスタートさせたウィーン時代、そのスタイルを確立させていったロンドン時代、そしてスタイルを確立させた後の「円熟期」の3つのパートに分かれる。
意外な印象を最初持ったのはウィーン時代に製作された作品にビビッドな色彩と意匠、豊かな造形を持つ、ヌーヴォー期のガラス器デザインを思わせるものがあったことでした。若い頃はそうしたものも好みだったのか、あるいは習作として製作されたものだったのか、それは会場のキャプションには無くうかがい知る余地はありません。
自分がリーの作品に感じる魅力は、簡単に一言で済ませてしまえば「かわいらしさ」となるでしょう。ボリュームを感じさせない薄い造り、手作業の跡を感じさせる微妙な歪み、あるいは意匠として加えられた捻り、淡い色彩とシンプルな紋様。世界に二つと無いことを感じさせるものが、それだけで完成されたものとして静かに佇んでいる印象があり、そしてそれが小鉢やティーカップなど、生活空間の中にあるなにげないものだということが愛おしく感じさせるのだろうと思います。
また違った意味で面白いと思ったのは、小鉢やポットなどは日本の焼き物を容易に連想させる意匠を持っているのですが、花器についてはそうした見慣れた感じを受けず、ギリシャあたりで発掘された壷のようなデザインを思わせることでした。まあ、そのあたりの意匠の変遷、由来のようなものは展覧会を出た後で購入した図録の中で紹介されていて、確かに自分が感じたことがそのまま書かれているのでした。