■都現美は夏休みシフト。「きかんしゃトーマス」に「ここはだれの場所?」「オスカー・ニーマイヤー」。「きかんしゃトーマス」はさすがにちょっとアレなので「ここはだれの場所?」と「オスカー・ニーマイヤー」。「ここはだれの場所?」は直前に会田家作品の撤去?報道があって話題になった直後でした。観た感じでは、「ああ、そういうことを言う人も出るだろうな」ということは率直に思いました。
ヨーガン・レールはテキスタイル/ファッションデザイナーで、移住した石垣島の海岸にプラスチックゴミがたまっているのをみて、その汚染問題を告発する作品を発表。ティプトリーの短編に『デッド・リーフの彼方に』というのがありますが、その幻想版のような感じです。ただ、見かけがきれいで告発しているように感じれないようにも思います。プラスチックゴミを基調の色彩で分類して配置したりするのはトニー・クラッグを彷彿とします。
アルフレド&イザベル・アキリザンによる段ボールを小さな家に加工したユニットを積み上げて天井まで届くタワーを幾つも並べています。この作風は市原湖畔美術館で目にしたことがあって、昨年のイチハラアートxミックス2014の参加作家でした。イチハラではやはり家のユニットを逆さにしたボートと組み合わせていたように記憶しています。市原の作品は作家の出身地である(海洋国家でもある)フィリピンの状況を反映していたと受け取ったのですが、MOTでの作品はタワーになっている、というのはそれが日本の印象ということなのかもしれません。
話題になった会田家の作品ですが、問題になったとされる檄文にしてもビデオ作品にしても政治的主張と呼ぶには弱く、というか、そうした「主張」のパロディーのようであって政治的な問題にするのは考えにくいというか、あれを政治問題として捉えるとしたら、その思考のあり方を問うた方がよいと思います。
印象的だったのは作品につけられた「子供向け」のキャプションで、たぶん「トーマス」目当ての子供向けに作られたと思われるのほほんとしたキャプションと作品が持つ質感とのギャップが大きいことです。このギャップが象徴的だと思うのですが、発端になったのは「子供向け」として制作されるであろうものとのイメージのギャップではなかったかと思います。会場に行けば解るのですが、あの作品に食いついているのは大人であって、子供は見ていないんですね。それは大人が楽しめる作品ではあったと思うのですが、(トーマスに惹かれる)子供には退屈なのではないかと思います。
この件については「クレーム」と「美術館の対応」ばかりが注目されて、企画展の中における会田家作品の座りの良さについては誰も触れていないのには疑問です。個人的にはあの作品は一つ前の企画展「他人の時間」の方が似合っているように思いました。