■森美術館はLOVE展が終わって次は「六本木クロッシング アウト・オブ・ダウト展」。日本現代アートをフィーチャした展覧会となる。今年は東日本大震災を意識した展示が多いのはあいちトリエンナーレ2013と同じで、震災から2年たち、ある種のストーリーとして消化されつつあることを伺わせていました。
最初に出迎えるのは小林史子さんの無数の椅子を組み合わせて作られた壁、『1000の足とはじまりの果実』様式の様々な椅子が組み合わされて築き上げられた椅子の壁からは、それらの椅子に触れてきた人々の痕跡を感じ取ることができる。椅子の数以上にそれに触れてきた人々の数は多いはずで、それら膨大な人の集まりでこの社会はできていることを実感させられる。
東京都現代美術館の常設でも展示されていた風間サチコさんの現代日本社会への強い危機感や憤りを感じとれる、印象に強く残る作品でしたが、こちらでも別の作品が展示されていました。それを視てわかったのは、コンスタントにそういう作品を作る人だということで、それでちょっと醒めてしまいました。現代社会への批判精神や、異議申し立ては重要なことですが、それしかない、という振れ幅の狭さには「芸風化」しているのではないかと懐疑的になってしまいます。そうしたスタンスの取り方は楽なだけに、安易さを感じてしまってダメでした。あまりにも解りやすく、読み取りに幅がほとんどないようにも思いました。時代性がかなり強い作品だと思うのですが、それが「そんな時代もあったのね」となるか、「いまだに古びない作品」となるのか、その分水嶺的なところに今があることは確かです。
ちょっと驚いたのが丹羽良徳さんの『日本共産党にカール・マルクスを掲げるようにお願いする』でした。これはアイチトリエンナーレでも観ていて、それを東京の展示でまた見るとは思わなかったので。ただ、愛知でも感じたのですが、その感覚にズレているものがあるように思えてならず、あまりノレませんでした。同じ世界を視ているように思えなかったのです。ただ、その違う目線があることを意識させられたこと、その確認を求められたことにこの作品の異議はあったように思います。
「六本木クロッシング」というと最初に観たのが2010年のものだと思うのですが、その時に感じた新鮮な体験、というのが今回はあまりなく、それが少し残念でした。政治的に強いバイアスがかかっていたことが意外性を削いでいたのは確かだと思います。そのメッセージは確かに重要なものなのですが、しかし、この場で改めて求められなくても、というのも正直な感想でした。