■だいたい一月ごとに銀座エリアは回っていて、今回も定期訪問。だいたいリクシルギャラリーの展示が1ヶ月単位で変わるので、それがきっかけ。今回は資生堂ギャラリーの展示も変わる時期も重なってちょうどいい。資生堂ギャラリーは仲條正義「忘れちゃってEASY 思い出してCRAZY」、リクシルギャラリーは小笠原森、いくしゅん、「聖なる銀 アジアの装身具展」とにぎやか。
資生堂ギャラリーの仲條正義「忘れちゃってEASY 思い出してCRAZY」はグラフィックデザインの作品展示。軽いトーンで、何か特定のコマーシャル用途ではなく、デザインパターンの展示といった趣。意図的にエッジを汚して古い印刷物に見られるプリントの荒れを模したトーンを作り出していて、それが微妙に古びたような味わいを出していて面白い。展示作品そのものに何かメッセージがあるわけではなく、作られたパターンそのものが持つ手触り感が楽しい。
新橋の資生堂ギャラリーを後にして、京橋のリクシルギャラリーへ。
小笠原 森の陶芸作品は大型で、実物の薪と組み合わされていると、炭化した木の洞のようにも見える。ただ、実際の木の洞が展示作品のような形態を取ることは考えにくく、炭のような外見を持つ陶器作品ということが解る。木の存在感を感じさせながらも、その実、木ではない。表面加工によって質感を変えてしまう作品は今回が初めてではないのですが、陶器という手法がもつバリエーションの広さには毎回驚かされます。
現代美術作品展示は〈いくしゅん〉の「ですよねー」展。ずいぶん軽いタイトルで、同調圧力に従うときの同意を示す言葉。写真作品展示で、写真の題材は身の回りにある事物ではあるのだけど、多分に暴力的なところがあり、単純に「ですよねー」という言葉で流せるものではないことに気がつく。「ですよねー」は反語的に使われているのだろう。「ですよねー」と言って黙り込んでも消せないものがそこにある。
今回面白かったのは巡回展覧会の「聖なる銀 アジアの装身具展」。アジアの装身具というと、「乙嫁」の描き込みをついつい連想してしまうのですが、展示にはその舞台となったカスピ海周辺で採取された装身具も展示されていた。大雑把に東アジア、中央アジア、アラビア半島で意匠や紋様が大きく異なり、文化的な交流の範囲を伺いしることができる。中央アジアのデザインが穏やかな印象だったのは、その土地の様子を反映していたりするのだろうか。東アジアの、ミャオ族の装身具などは銀のラインが撚り合わせて捻った、その捻りの様を意匠として使うなど凝った加工が施されていて面白い。それに比べると中央アジア、アラビア半島の加工はプレスと象嵌が殆どで、加工技術のスタイルがだいぶ違うことが解る。
銀の装身具が存在するということは、銀加工の技術も合わせて流通していたはずで、そちらの紹介もあると良かったのにと思う。もっとも「装身具展」だけでコンテンツとしては充実していたから、十分満足だった。