■先日の水戸芸術館も久しぶりだったけど、箱根彫刻の森美術館も久しぶり。子供のころに一度来た覚えがあるくらいだから、数十年ぶりになる。彫刻の常設美術館で、それもなんとなく古びた、といったイメージだけがあってなんとなく敬遠していたのだけど、改めて調べてみるとシーズンごとの企画展も行われていて、今開催されているのが山本基の「しろきもりへ」展。山本基は以前、都現美の「装飾」展で観ている。その時は塩を使って床に大面積のレース編みのような迷路を描いた作品が展示されていた。その前は加藤泉の企画展だったから、たまたま現代美術家を招いたというわけでもなさそう。
ところどころ渋滞している国道1号をひた走り箱根へ。箱根の稜線に大きく雲が張り出していたものの日差しを遮るところまではいかず、強い日差しで蒸し暑い。二輪用の駐車スペースがあるかどうか不安だったのですが、二輪の来場者は想定しているようで、きちんと誘導してもらいました。駐車料金は四輪の半分。チケットを買って、ゲートを抜けて…一度来ているはずだけど、全く覚えていない。
会場になっている本館ギャラリーはゲートのすぐそば。一度場内をぐるりとまわってから最後に観ようかとも思ったのですが、あまりの暑さに最初に見ておくことにしました。
「しろきもりへ」は3室からの構成になっていて、最初は「現世の杜」、次いで「摩天の杜」、最後に「常世の杜」が控える。塩を素材としているのが特徴で、「塩」が持つイメージが作品にプラスアルファのイメージを付け加える。閲覧者の先入観を利用している、と言ってもよいかもしれない。腐敗を防止する古くからある添加物であり、そこから「清めの塩」や「地の塩」といった使われ方をするようになった。
「現世の杜」ではその塩を使って枯山水が作られる。大きな窓の向こうには園内の緑とヘンリー・ムーアの彫刻が見えている。その景色とコントラストをなす白い景色がいかにも涼しげで、まずそれだけでありがたい。枯山水をモチーフに使ったインスタレーションというと、奈義町現代美術館にある荒川修作+マドリン・ギンズの「偏在の場・奈義の竜安寺・建築的身体」を思い出す。
白い塩で描かれる整然とした水面の表現。岩塩の塊が波紋を作る。生命とはそうした現象なのかもしれない。
「摩天の杜」では天井までの高さがある塩の塔が展示される。何に似ているとも言いがたい。ところどころ壊れたようにも見える塔の姿は、今ある「摩天楼」ではない。かつて賑わったであろうその塔は、今は半ば打ち捨てられているかのようにも見える。塔は権力や野望の象徴でもある。崩れ始めている塔の姿は、それが象徴しているものが形骸であることを暗示しているように受け取れる。
最後の「常世の杜」では、森とも水面とも見える模様が床一面に描かれている。「現世の杜」にせよ「摩天の杜」にせよ、その作品を前にしたとき、その場所にはおらず、遠くから俯瞰しているような感覚があった。高みからモデル化された世界を眺めているような感覚。その視座がある場所が、この「常世」なのかもしれない。
展示室に入り、ほぼ床面から眺めた時、その紋様は波のように見えた。しかし、高所から見下ろす台上からは、確かに森が見える。ゆらめく波紋の向こうに広がる森の姿。そこは誰もが帰る場所。