■目黒区美術館は久しぶりという気がする。目黒駅からラーメン屋の並ぶ坂道を下り、目黒川沿いに歩いて目黒区民センター敷地内。今回は「メグロアドレス展」目黒区にゆかりのある若手作家作品の展示、ということで出品作家は青山悟+平石博一のユニット、今井智己、須藤由紀子、長坂常、南川史門、保井智貴の7名。「地元ゆかりの」という括り方に若干腰が引けながらも行ってみました。ちょっと作品点数が少ない感じはしましたが、失望するほどでもなく、かといって手放しで大喜びできるほどでもなく、なんとなく微妙な感じがなくもなく。グループ展で「地元ゆかり」と括ってしまうと展覧会全体の作品を通して浮かび上がるテーマ性というものは失われてしまうわけで、それは致し方ないことかもしれません。
印象に強く残るのは保井智貴さんの彫刻。乾漆で制作された女性の立像は、その表面の風合いが木のようにも金属のようにも見えて少し不思議な感じでした。作品は2点あり、今風の服装をした若い女性の姿ですが、フォルムそのものは様式化されていて、古典的な、トラディショナルな雰囲気を湛えているのが不思議な存在感をもたらしていました。
様式化された人物象はどこかフラットな印象がありましたが、フラットな人物象と言えば南川史門が描く人物象も強い主張を感じない、軽く、どこか希薄な印象を受ける。流行と言ってしまうのは簡単ですが、そうした印象は実感としてあるのも確かです。もっとも没個性化、フラットな印象
というのは一種の処世術として身につけたスタイルであって、そのフラットな表面の裏にあるのは、見かけほどフラットなものではないのではないか、とも思います。
違う意味で面白かったのは須藤由紀子さんの鉛筆画で、ある方から依頼を受けて、その御邸宅の庭を描写しています。記録を残すという意味であれば、写真で十分だと思うのですが、そこで鉛筆による描画を依頼する、というあり方が面白いと思いました。単なる記録が欲しかったわけではなく、作家の目を通して、作家という存在をフィルターとして立ち現れる「庭」の姿が求められたのだろうと思います。もしかすると、もし好ましく感じる視線を持つ写真家がいたら、写真撮影を依頼していたかもしれません。
通常の美術展であれば、観る人と関わりなく作品は描かれていて、観る人はそれぞれ読み取る、感じ取るとことになると思います。しかし、須藤さんの作品はある意志を持って依頼された作品で、依頼主と無関係ではあり得ない。展示されていた作品を前にして、依頼主はどのように自分の庭を見たかったのかな、と、そんなことを考えていました。