■久しぶりの森美術館。社会的メッセージを読み取ることもできる攻撃的な展覧会というのも久しぶりのような気がする。性的なモティーフも多いので美術館でかかることが難しいという声もあったそうだけど、単品で展示するとその性的イメージだけが殊更強調されてしまうのに対して、まとめて展示にかかると他の作品同様、攻撃的な批判精神も読み取ることができる。エロティックさを表現しているようには見えなかった。見えるようなら美術館にかかるのはなお難しかっただろうけど。
面白いというか、観てて楽しくなってくる個展でした。いろいろな権威付けられた価値観や、主流となっている価値観に異議を申し立てるというスタンスは明瞭で、村上隆的なオタク・モチーフを扱いながらもそれが女性の性の商品化であることを端的に示していて解りやすい。オマージュでもパロディでもなく、批判している。
オタクの文脈の中では極端に言えば、「少女」というモチーフは徹底的に符号化されて扱われる。そこには過剰な思い込みが入り込む。それを「愛」と言えなくもないのかもしれない。しかし、その対象は各個人の中にある存在であり、自己愛の一種のようにも思える。
会田誠の描く「美少女」は端正で美しいが、そこに何か思い入れがあるようには感じ取れない。大勢描かれる彼女たちはクローンのようで、ふりまかれる笑顔は明るいが虚ろで軽い。彼女たちは消費される存在であり、儚く消散していってしまう。絵の中に描かれる美少女の数が多ければ多いほど、その存在感は薄くなり、印象に残らなくなる。「彼女たち」は≪ジューサーミキサー≫ですりつぶされて消えていく。
同時開催されているMAM PROJECTの山城知佳子のショートフィルム≪肉屋の女≫は直接的には会田の≪ジューサーミキサー≫のビジュアルとかぶる。沖縄出身である山城の出自を思えば、そんな単純な見方を許さないことはすぐに解るが、男たちに貪り尽くされ消えてしまう肉屋の「女」はやはり会田の描く美少女を連想させる。
ただ、山城の作り出すショートフィルムの世界は神話的な物語や沖縄の地政学的ポジションなどが重層した多義的な読み取りが可能で、観る側に鋭い問いを投げつける。