■資生堂ギャラリーにて。荒木経惟の最新個展。氏の個展は各地で観ています。生きていることの生々しさを感じさせる作品が多いですが、最近のコメントなどを読んでいると、死を常に視野の片隅にとどめているのではないかと思わせます。資生堂ギャラリーでの「往生写集-東ノ空・PARADISE」はそのことを強く感じさせる構成になっていました。
ギャラリーでの展示は2部構成になっていて、最初の「東ノ空」は3.11の大震災以来写しているという福島方面の空を写した写真と、銀座の雑踏を写したスナップの組み合わせ。甚大な規模で人命を失った世界を思い出させる空の写真と、そことはまるで別世界のような表情を見せる地続きの銀座。銀座はもちろんギャラリーのある場所で、そこでは「東ノ空」を忘れているかのような今のこの場所、この時のことを思わずにはいられない。その膨大な死を飲み込んだ空と並置されるのが「PARADISE」(最初のPは鏡文字)で、こちらはモノクロの「東ノ空」とは対照的にねっとりとした色濃いカラー印刷で仕上げられている。遠目には花が撮影されているだけに見えるのだけど、寄ってみると花は枯れかけているし、花にまぎれて壊れた人形が配置されていることが解る。数十枚のカラー写真を眺めていると、「爛熟」という言葉が思い浮かぶ。荒木は「花は死の一歩手前が最も官能的」と語っているが、おそらく作家自身が死を意識しているだろうことを思うと、自身の死生観が重ねられているように思えてならない。死の間際まで華々しく、という力強さのようにも感じられるし、不安の裏返しのようにも感じられる。そのあたりの按配をくみ取るには、まだ自分は若すぎるのだろう。
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