■原美術館でコレクション展を観た後、品川駅にとって返して有楽町へ移動。ここから日比谷の高橋コレクションへ。「ネオテニー」より若い世代作家の作品で構成したneoneo展 part2が開催されている。part1が「草食男子」なら、part2は「岩戸を開く女子」の作品で構成されているのだという。
原美、高橋コレクションを回った日は午前中が雨でさんざんだったのだけど、午後から回復。原美に入る直前で傘が壊れてしまい、高橋コレクションはどうしようかと思ったのだけど、原美を出る頃に雨はすっかり上がったので良かった。日比谷に来るのはこれで2回目。めったに来やせんこんなとこ。
neoneoのpart1では線の細い、あるいは自己評価が低そうな作品が多かったのですが、part2ではずっと自己肯定的な、地に足のついた印象を受ける作品が多かったです。最初に出迎えられるのが加藤愛さんの確信犯的な痛烈な作品(タイトル忘れた)で、並ぶのが名知聡子さんのまじまじと見つめていると照れてしまいそうになる「ポートレイト」。なんか見覚えあるなあという気がしてならなかったのですが、調べてみると昨年東京オペラシティアートギャラリーで観ていたみたい。
山田郁予さんの儚い女性像は、どうもリスカっぽくて、痛々しい。並ぶヒョンギョンさんの「オチコボレ」はどろどろした情念を捨てることもできないまま塊となっているような印象。この情念が外に向くと「キル・ビル」のブライドみたいな極妻っぽいノリになるのかもしれないのですが、あくまでも内に向いたまま。
単純に造形物として魅入ってしまったのは塩保朋子さんの紙を使った作品でした。ディテールは繊細なんですが、全体としての印象はどちらかと言えば躍動的で、面白かったです。
展覧会全体の印象は、なんとなくあまりアートに馴染みのない20代の知り合いの女性陣あたりに見せてみたいなあというものでした。ちょっと意地が悪いのかもしれません。でも、「オチコボレ」とかに何か共感めいたものを感じる人はいるんじゃないのかなあ。そんなことを思っていました。
neoneo part1,2を通して感じるのは、どこか閉塞している男子に対して、のびのびとしている女子、という印象。「草食系男子」というキーワードにどれほどの実態があるのか疑問ですが、そこにはかつて女子が自分達に与えられたジェンダーというフレームを一旦外し、その後自分達になるべく有利になるような形でジェンダーを再度選んだ過程があるのに対して、男子は未だジェンダーを見直すことができないでいる状況に対する抵抗のようにも思えます。