■横浜市民ギャラリーあざみ野で美術展が始まったので観に行った。たまたまスケジュール的にヨコトリのイベントでトヨダヒトシのスライドショーが関内で夜間に上映されるので、その日程と組み合わせた。あざみ野から関内は横浜市営地下鉄で一本だからその点でも都合がいい。
山口勝弘は50年代の実験工房からメディアアーティストして活躍してきた作家で、横浜市青葉区在住。その縁があってあざみ野の展示になったのかな。
展示は過去に制作された「ヴィトリーヌ」などの代表作やインスタレーションのビデオ映像などと、最近制作されたドローイング。「ヴィトリーヌ」は多くのフレネルレンズで構成されたフィルタを作品の前に配置して、観る側が移動することで見える絵が変化するようにした作品。今見ると他愛もない感じがしてしまうのですが、半世紀以上前の仕掛けであることを思い出すべきなのでしょう。対象物の前に視線を制約する光学的オブジェクトを置く仕掛けは名和晃平のPixcellシリーズを連想します。
過去の展示風景を収めたビデオを観ていても使われているのは古いブラウン管テレビを使ったメディアアートで、今ひとつこなれていない感じを受けてしまいます。ただ、それはもちろん最近のメディアアートを知っているからで、逆に、もし今あるメディア技術を使っていたら、どんな作品を仕上げていたのだろうと思わずにはいられません。
ドローイング作品はメディアインスタレーション作品で特徴的だった、「煌めき」を抽象絵画に落とし込んでいるように感じました。水面の光の反射に似た煌めきのパターンが視覚的な構成の基礎にあるようにも感じました。
あざみ野を後にして、関内へとんぼ返り。横浜開港記念館でトヨダヒトシの「なずな日記」が上映されるということで、予備知識もないまま会場へ。プログラムでは19時開演で20時40分頃終了とあったのですが、終わってみると21時10分でした。サイレントのスライドショーで、作者が国内のアーミッシュや禅寺などの自立した小コミュニティーを訪ねることを重ねる中で、無常観を紡ぎだしていく。
とはいえ、観ているのは正直しんどかった。ストーリーはなく、何をもって終わるのか予想がつかない。観ているうちに、被写体となっているのが外部から独立した小コミュニティであることが解る。落ち着いた、浮世離れしたコミュニティの景色が続くなか、時折3.11の時のニュース映像や大阪の繁華街の光景がインサートされる。その繰り返し。繰り返し。あざみ野から移動していたこともあってか、集中力が続かなかったのは残念でした。スライドショーのライブ上映で、スライド切替のタイミングで受ける印象は変化することでしょう。そうした微妙な要素も含んでいるのは解るのですが、もう少し早い時間帯で上映してほしかった。