■「サイモン・スターリング展」で、これで当分見納めだなあと思っていた広島市現代美術館を再訪。今度は高峯格の「とおくてよくみえない」。横浜でも観ているので、その意味でも再見。5月の比治山は新緑も目に美しく、梅雨入り前のわずかなハイキング日和。広島駅前からいつもの路面電車に乗ったのだけど、やたら人が多くて驚いた。巨人-広島戦のデーゲームがあったかららしい。比治山下駅で下車して山道を登った。最初ここに来たときはしんどい山道だと思ったのだけど、今はすっかりなれた。毎週末の美術館めぐりで、それなありに体力が戻っているらしい。
「とおくてよくみえない」は横浜美術館で一度みていたのだけど、広島市現代美術館のブログで横浜とは違う作品があるというエントリーがあったので少し興味があった。何か、新作があるような書き方だったのだけど、'A Big Blow-job'の構成が横浜とは違っていた。
どちらかというと、展示室という美術館内の空間レイアウトの違いで、展示方法が横浜とは幾分異なりそのために印象が異なるものが多かった。作品の配置順序だけを取り出すと横浜と変わらないのだけど、実際の配置や、照明の使い方で印象がかわってしまうのが面白かった。
「野生の法則」は横浜ではアトリウムで展示されていたけれど、空間の大きさに比べてしまうと小さい感じだったのが、広島では最初の展示室いっぱいに使われていて印象が違う。続く「2次元の部屋」も明るい室内展示で横浜での薄暗い展示室での仰々しさが消えて、なんとなく軽い感じ。
'Do what you want if you want as you want'と'God Bless America'の展示レイアウトも変わっていて、横浜では同一室内であり、両者の類似性が強調されていたのが、広島では通路での展示となり、若干関連性が弱まってしまったように思う。展示の仕方を変えてしまうと印象が変わってしまうという話はキュレーターサイドのブログなどで読んで知っていたのですが、その実例を見れて、その意味で面白かったです。
'A Big Blow-job'は横浜と違い、砂浜のような床の上に文字を並べてあった。横浜はごちゃごちゃしていて読みにくかったのだけど、こちらはすっきりしていてだいぶ読みやすくはあった。「ベイビー・イン・サドン」は「あんたの、その在日への嫌悪感は何なの」という盲点を突かれるような言葉で始まる作品。意識せずに自分と相手との間に設けていた距離感を、相手からの言葉で改めて意識させられたと告白した作品で、横浜でも観ているし、その前に都写美でも観ていているけれど、この展覧会とは全く別に会った人から「三国人」という言葉を聞いたことが、また違った印象を残している。他者との距離の置き方、特に社会的に分類されたグループとの距離の持ち方は意識しないうちにインストールされているところがあるのではないかと、そんなことを思った。
今回の広島での「とおくてよくみえない」は、横浜で見たものとそう大きく変わるものではなかった。でも、残る印象は横浜とは違うものだった。もちろん、観ているものは同じだから、新規性を感じるわけはなく、その点では物足りなさはあるのだけど、横浜で見たときと異なる印象を持った、同じ作品であっても異なる印象を持ち得るものなのだ、ということを感じたことは面白い体験だったと思う。