■その名前は現代美術にかぶれたときに調べ物をしていたときに知った。地方にありながら、というより、地方だからこそできたというレベルの高い美術館。東京にいるときは、そんなにすごい所というなら一度でも見たいものだと思っていたけど、場所が名古屋から奥まったところにあるというのがおっくうだった。日帰りは強行すぎるし、いくらなんでも交通費が割高だ。
とか思っていたのだけど、名古屋に逗留することが決まったわけで、この機会を利用しない手はない。地元のローカル線で行けるわけだし。地元の美術館というと、これまでも隣県の三重県立美術館とか、岐阜県美術館とか通ったわけですが、現代美術にフォーカスをしているわけではなさげというのもそれぞれの美術館のウェブサイト(*1,*2)を通して感じていて、ちょっと物足りなかったし、実際、足を運んでみてちょっと物悲しい印象を受けたこともあった。
ただ、今回ようやく足を運べたこの美術館については、Culture Powerというサイトで、キュレーターがインタビューに熱っぽく答えているのが印象に残っていて、また、施設について褒めていることもあって、期待していた。
その美術館を豊田市美術館という。
今の時期(5月)はドイツ・ポスター展(1890-1933)と綯交(ないまぜ)展が行われている。うち、綯交については6月も行われているのだけど、どうせなら2つ併せて見たいし。
豊田市美術館へは南回りで向かった。名鉄を使い、知立から三河線で豊田市駅に。名古屋方面から知立へ向かうにつれて周囲の景色が郊外というよりは田園に近づきつつある感じがあって、これは豊田市美術館も自然の中にあるのではないかと、うすらぼんやり予感していたのですが、豊田市駅は駅ビルも有する、なかなかどうして立派な郊外新興住宅地のターミナル駅といった風情。
ただ美術館まで歩く途中に見える印象としては、商業設備の集積はそれほどあるわけではなく、言うなれば厚みが無い様子。道は立派だけど車もあまり走ってないし。平日の昼間だからかな。数分歩くと見える景色はなんとなく京急の弘明寺周辺っぽい。なんというか、スタミナの切れかけた地方町というか、まだ町の景観が土地に馴染んでいないような印象。
10分ほど歩くと、やたらだだっぴろい駐車場が目立つようになり、荒廃しているわけでもないけど、別段活気があるわけでもないという空気になりかけたところで、丘の上にそれらしき建物が見えた。
近づいていくと、やっつけぽさを感じなくもない立看板が。大丈夫だろうか、とかふと思う。ちょっと悲しくなってしまう展示というのをこの間見たこともあって、少し気になった。
丘を登っていくと、なんか素っ気ないエントランス。振り返ってみると、結構建物のある豊田市市街を見下ろすことができた。こうして写真で見るとなんかものすごく立派な町のように見えるのだけど、実際歩いてみるとちょっと印象が違うのはなんでなんだろう。
入ってみると、さっきまで歩いていた市街とは別世界というか、なるほど立派な建物でした。これが市立美術館なんだ。ただ、中は微妙に迷路のようでした。
ドイツ・ポスター展は第一次大戦前のドイツにおけるポスター美術の変遷を追ったもの。あの頃のポスター美術というと、ミュッシャのポスターを反射的に思い浮かべるのですが、あれに比べると微妙に垢抜けてないような感じがしたんですが、それがドイツというものだったのでしょうか。
もうひとつの目当てにしていた綯交(ないまぜ)ですが、これは面白かった。いろいろな切り口を持てると思いますけど、すぐにわかるのは、駄洒落や言葉遊びで得られるナンセンスな日本語をそのまま日本画のコンテキストを使って画像にしているということ。「花火」は「花の火」だし、「竹林檎」では竹に林檎が生っている。そのイメージを古典日本画のコンテキストを使ってコラージュしてしまう。切り張りしているわけではなく全て手描きで、ぱっと見は日本画の展示のように見える。美術館側もそこは心得ているようで、日本画の展示を思わせるようなスタイルの展示室も設けていて、面白かったです。これで自分に古典日本画の教養があればもっと面白がれただろうと思うと、そこは残念でした。
ミュージアムショップでは綯交展の目録を買いました。付属のレストランは高台の上から豊田市街を一望にできるのですが、見える市街というのがあんまりにも実用本位の建物ばかりで見えていいのか悪いのか。殆ど外が見えない都現美に比べれば雰囲気も眺望も客の扱いも段違いですけど、神奈川県立近代美術館の葉山別館付属のレストラン(海を一望にできる)にはかなわないでしょう。立地ばかりはどうにもならない。
帰りは、最初に入ったエントランスとは逆側から出て、自分はてっきり裏から出たと思ったのですが、そうではなくて、駅に近い方が裏口だったようです。駅から歩いて人が来るとか思っていないんだろうなあ。なんか、このあたりはそういう設計をするものだということにだんだん馴れてきました。
それはそれとして、敷地を出てちょっと笑ってしまったのがこの景観で、この施設は地元の都市計画からだいぶ浮いているような気がしてなりません。綯交というなら、こういう景観を作り出す用途指定のありかたが綯交だし、それは別にこの地方に関してはこの場所に限らないという気がしています。