■初めての横須賀美術館。5年前に落成していたことはもちろん知っていたのですが、現美がなかなか扱われないということもあって、なかなか脚が向きませんでした。ただ、今回はBS日テレの「ぶらぶら美術館・博物館」で紹介されていたことや、他の美術館のスケジュールの兼ね合いもあって言ってみました。「国吉康雄展」
国吉康雄は戦前に移民として渡米し、働きながら絵を学び、画家として大成していく。しかし、戦前・戦中を通して日本人移民の扱いは決して良いものではなく、国吉の立場は米国にあって微妙なものとなっていた。戦前には力強く、描きたいものを描いている印象があるが、戦後は鬱屈した表現が目立つようになる。
日本に居場所がなく、画家として評価を与えてくれた米国も、しかし市民権を与えてはくれない。国吉は積極的に米国社会へのコミットを求め続けたが、それはついに叶うことはなかった。
戦前、国吉の作品では裸婦像が多かった。その目線はおそらく社会の底辺で暮らしていた女性達への共感が込められていただろうが、戦後、その目線は自分自身に向けられていったように思える。裸婦像のモチーフは姿を消し、変わってピエロが多く表れる。仮面をかぶったピエロの姿に国吉自身の姿を重ねて見ないことは難しい。戦後、国吉はベネチアビエンナーレの米国代表作家4名の1人に選ばれるが、それすらも自分が「日本人」という出自を持つから、というコンプレックスから逃れられなかったのではないだろうか。
荒涼としたサーカスの絵は、明るく乾いて、どこか寒々しい。
それはそれとして国吉康雄展は面白かったのですが、ラルク・アン・シェル展が併せて開催されていて、そちらはいらなかった。
Copyright (C) 2008-2015 Satosh Saitou. All rights reserved.