■噂にはすごいすごいと聞いてはいたけど、実物を目の当たりにすると確かにすごい。床から天井までの大きさに引き延ばした写真でも細部の解像度が破綻しておらず、もともとの画像の情報量が多いことが窺える上に、広範囲を収めた高角なのに、画像周辺に球面歪みや透視図法的な消失点へ収束する線もなく平行なものは画面全域にわたって平行になっている。大判カメラでシフトレンズを使っているのだろう。手持ちのコンパクトや一眼レフでは絶対にあんな写真は撮れない。
アンドレアス・グルスキーの視線は現代社会に向けられている。作品を次々観ていって気が付くのはマス・ゲームにも似た、「同じことを繰り返す大勢の人」というモチーフが出てくることだ。シカゴ商品取引所や東京証券取引場の人々、農場や手工業の現場で働く人々、大量に飼育されている牛や馬。一つ印象的だったのはどこかの空港ロビーを写した写真。画面上部は発着便を知らせる掲示板で埋め尽くされ、その下をまばらに乗客たちが行き交う。それは確かに現代社会の一つの局面を鮮やかに切り取って見せた作品だと思います。
繰り返される色彩のリズム、画面を埋め尽くすパターン。川面に揺れる光は美しく、しかし同時にゴミや油の浮かぶ醜悪な姿でもある。現実は美しく、同時に醜い。そのどちらかだけが現実の姿ではなく、双方合わせたものが現実というものの様態である。そのことを一枚の写真で端的に示していてなるほど確かにすごい作家なのだと思わずにいられなかった。
同時に開催されていたのがアメリカン・ポップアート展。こちらはロバート・ラウシェンバーグ、ロイ・リキテンスタイン、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホルなど60年代前後のアメリカン・ポップアートシーンを代表した作家の諸作品を集めた展覧会。ラウシェンバーグの作品は原美術館のコレクションで何度も観ていたのですが、今回の展示では今まで見たことのない、コラージュの先駆的なスタイル(「コンバイン」と呼んでいたそうですが)で描かれた作品など見ることができて、作家のスタイルが完成していく過程も解り面白かったです。