■去る7月19日から10月31日まで、瀬戸内──宇野、高松間にある島々を舞台にアートフェスティバルが開催されている。瀬戸内国際芸術祭2010で、もちろんせっかくだからと観に行きました。ただ、現地の移動コストがばかにならないので展示作家をチェックして塩田千春が出展している豊島へ。内藤礼も参加しているのだけど、公開されるのが10月後半なので、そこは残念なこと。
このフェスティバル、島々に分散しているのは、まあ、いいとして、現地までのアクセスはかなり悪い。車があるならとにかく宇野港か高松港まで行けばいいのだろうけど、車が無ければ当然鉄道を使う。今回はとにかくまず宇野港へ行かなければならないのだけど、岡山から瀬戸大橋線にのって茶屋町駅で宇野線に乗り換え。岡山から宇野まで1時間かかり、宇野港からフェリーで豊島の唐櫃(からと)へ1時間。
唐櫃浜の展示はオラファー・エリアソン、クリスチャン・ボルタンスキー、大阪芸術大学。エリアソンの「Beauty」は薄く撒布した水滴の幕に光をあてて虹を作るのだけど、おかげさまでだいぶ蒸し暑い。きれいなことはきれい。締め切った暗い土蔵内部の展示で、そこに残留する何か精神的なゆらめきを思わせました。でも蒸す。
大阪芸術大学の「ノリとたゆとう」はかつて海苔工場として使われていた建物内部を使って、波にたゆとう海苔の気持ち(?)を体感させようというもの。ただ、海苔工場ということで、そこにかつて従事していた人たちがいたはずで、そちらの視線が落ちているようなのは少し片手落ちのように思いました。作品の素材に使っているのはかなり伸張性に富んだ素材で、その使い方は面白かったです。
クリスチャン・ボルタンスキーは「心音のアーカイブ」で、まあ、だいぶ解り易いですね。そこに、生きている人たちのライブとしての痕跡がアーカイブされているわけです。地元の高校生らしき集団が見学に訪れていたのが印象的でした。よその展示では見なかったなあ。
唐櫃から甲生(こう)へ。ここではお目当ての塩田千春の他、キャメロン・ロビンス、クレア・ヒーリー&ショーン・コーデイロ、スー・ペドレー。キャメロン・ロビンスの「潜在意識下の海の唄」は海の波を使って、海面に挿したパイプの空気を動かし、オルガンを鳴らすというもの。クレア・ヒーリーは古民家を網でくるんだ展示、クレア・ヒーリー&ショーン・コーデイロも古民家を使い、内部に恐竜の化石を展示。両者とも「家の記憶」を展示しているのは共通していますが、ヒーリー&コーデイロが使う「恐竜」というのは、廃屋を舞台にしていることを思うとかなり痛烈です。そこはすでに死んでおり、残っているのはかつての思い出のみ。
塩田の「遠い記憶」も、他の塩田作品を知っていれば非常に解りやすいのですが、やはり「かつての土地の記憶」をモチーフに選んでいるのは明白です。ただ、多量に使われている、廃材となった扉や窓により構成された空間が持つ「記憶」の重さには、猛暑の中でも寒さを感じました。かつてそれらの扉には何度と無く何人もの手が触れていたものであり、その窓も無数の視線が通過していたはずのものですから。
甲生からひっかえして唐櫃岡へ。お目当ては青木野枝「空の粒子」。神社境内を舞台に選んだこの作品は神社という結界が持つ静謐な空気を形にしているようでずいぶん居心地のよい場所になっていました。唐櫃岡には他にも作品があるのですが、猛暑の中の移動続きで感受性が鈍っていたことと、帰りの船の時間が迫っていて急ぎ歩きになっていて、十分には見れませんでした。
豊島に渡ったのは正午過ぎで、離島したのは16時頃でしたが、豊島の作品を見切るには全然時間が足りません。急ぎ歩きで6時間。十分に見るには8時間はないとダメで、しかも島は他にもまだあり、つまりは現地に長期逗留しないとお話になりません。それってどうなのと思わなくもないのですが、実は豊島に関して言えば、島の景観そのものが非常に美しく、それだけでも十分見て回る価値があるので、今回はこれでもまあいいか、みたいな気持ちになっているのは確かです。
それはそれとしても、過酷なアートフェスティバルです。帽子は必須。タオルなどを襟足にまいて直射光を極力避けるようにしないと体力を消耗します。水分補給と携行食料があると良いでしょう。夏場のトレッキングスタイルが参考になります。