■東京オペラシティアートギャラリーで始まった新しい展覧会はいわゆる「高橋コレクション」展。「ミラーニューロン」は他者の行動に対応するように反応するニューロン仮説のこと。生物が持つ模倣行動の基盤と推測されていて、その名を冠した展覧会は過去から現在まで作られてきた数多の作品がそれぞれの美術家をつなぐイメージの連鎖があるのではないか、という見立てに依っている。ちょうどこの時期水戸で開催されている山口晃氏の作品は日本画の伝統を強く意識していることは知られているけど、そこまで強いリファレンスでなくても互いの作品の間でイメージの呼応があったことは美術家のインタビューで伺うことができる。
主催側が意図している「ミラーニューロン」はそういう意味であるらしいのだけど、美術家でなく、単純に作品を見るだけの観客の間にも似たような働きはあるのではないかと思う。作品を作る美術家は何よりその作品の最初の鑑賞者であるわけだし、その鑑賞にあたり、自分の中にある好ましい反応を探っていたと思われるのだけど、その求めた反応と同じか、似たような反応が単なる鑑賞者にも生まれているのではないかと思う。同じ作品を前にした人々はその作品を媒介にして同じ反応を追体験しているのではないか。作品の「解釈」はその反応の後に生まれるものであって、副次的なものではないかと思う。ニューロンの反応という共通体験をトリガとして生まれる反応は後工程的なものではないか。
ということはともかくとしても高橋コレクションを見るのは3、4回目ではないかと思う。見飽きないというか、印象に強く残る作品というのはやはりあって、その作品を普段見ることはなかなかできないのだけど、こうしたコレクション展で何かカタログ的に再び見ることができるというのは単純にうれしい。ウェブや印刷媒体で見るのと実物を前にするのとではやはり体験としてはやはり別物で、実物を見るに勝る体験はないと思います。単純な話で、作品のサイズから受ける印象というのはどうしても今のメディアでは媒介できないものですし、あるいは単なる筆致ですら、印刷物や写真では伝えることができていません。作品を直接前にしたときにできる反応は別物だなと思います。特に今回は西尾康之氏の「Crash セイラ・マス」を前にしたときの初見の衝撃は印象的でした。直接見なければ得られない体験というのはやはりあるのだと思います。